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2004.12.17

身を捨ててこそ浮かぶ年の瀬?

 今朝は寒かった.気温はさして低いようではないが,北風が強かった.通過した低気圧のおかげで西高東低,冬型の気圧配置である.そこで,今日はこの冬二度目の革コートの日となった.
 
 気づくと会社の窓から見える道路の並木も黄色くなっていて,まるでガラス窓の内側が絵葉書のように景色が綺麗になっていた.窓の外を眺めるゆとりもなかったのかな.紅葉したら絵画館前まで散歩にゆこう――なんて家人と云っていたのだが,いつの間にか見ごろは過ぎてしまったようだ.残念.ベランダのカポックも黄色い葉を落とし始めている.
 
 浅草では恒例の羽子板市が立ったと,テレビニュースで報じていた.暦はどんどんと進み,あと2週間で新年を迎える,と云われてもまったく実感がない.やはり,以前にも書いたが,このまま13月になってしまいそうだ.寒くないのもそのように感じる理由のひとつだろうが,何よりも忙しさにかまけて自分の周囲を眺めていない,というのが最大の原因だろう.
 
「年の瀬」という言葉がある.普段は何の疑問もなく使っているが,はて,改めて考えてみると「年の瀬」とは何だろうか.師走や12月や年末とほぼ同義に使われるこの言葉,特に「瀬」の部分が気になる.

」とは,第1義では「川などの流れが浅く歩いて渡れる所」とある.ピンとこない.時間の流れの中で「浅くて歩いて渡れる」のが年末だとしたら「深くて渡れない=年の淵」とは一体いつになるのか…….

 その点,第2義の「川の流れの急な所」は何となくわかる.ホントに,何でこんなに忙しいのか,まったくもって一所懸命に仕事をしていても全然対岸が見えてこない,まるで急流にもまれて流されているような,溺れかけて,しかも,すがれるような藁シベ一本浮いていないような,そんな感覚はまさに「年の瀬」だ.
 
 第3義に「物事に出あうとき。機会」というのがある.実はこれが一番本来の意味なんじゃないかと思ったりする( この辺は検証してないし,いい加減だから受験生は信用しないように ).
 
 実はこういう年末にこそ,色々と本当の姿が見えてくるんじゃないか,と思うのだ.忙しいときこそ周りの人間の本性やら仕事の核心やらが見える.なぜかというと,周りの人間も忙しいから,外見を取り繕っているゆとりがなくなってくるからだ.
 
「年度末だって忙しいじゃないか」という意見もあるだろう.年度末は人が動く時季である.だから外見を取り繕ってしまう季節なのである.が,年末には人事は動かない.単に忙しくなる.仕事も職場も世間も街も,一様に流れが早くなるのだ.多少ハメを外したところで評価には影響の少ない季節なのである.

 加えてお酒が入る時季でもある.ついつい忘年会で本音が出たり,挙句の果てにはなかなかの見物が展開された……とか,実際に聞こえてきている.こういうときこそ冷静に落ち着いて立ち止まり周囲を眺め渡すべきなんだろう.
 
 言葉には色んな意味があるし,様々な意味を引き出せる.これは昔の人がわれわれに向かって残してくれた知恵なんだろうなぁ.
 
 この冬はまったくもって冬らしくないし,年末らしくない.だから,こういう冷めた酔っ払いが結構多いのかも.お気をつけください,そこのおとーさん.
 

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