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2005.01.26

あなたのうしろに100万人

サンマルコ広場にて

 立ち止まる人が多くなった.だが,場所を選んでもらいたい.
 
 エスカレータで上がって降りたところで立ち止まって考え事を始めてしまうおかあさん.改札口までやってきてポケットを探り始めるおとうさん.駅に着いて扉が開いたので電車から降りるのかと思ったら戸口で仁王立ちになってしまうお嬢さん…….
 
 立ち止まって考えることは私も推奨していることであるし,どんどんやっていただきたいが,場所が悪過ぎる.なぜそこで立ち止まるのか,公衆の迷惑になっている――と,丁重にご注意申し上げたいものだが,昨今,物騒な時勢なのでグッと我慢している.
 
 もしかしたら,このおかあさんは15万ボルトのスタンガンを,ハンドバッグの中に忍ばせているかもしれないし,あちらのおとうさんはビクトリノクスのソルジャー91mmなんぞをスーツの内ポケットに用意しているかもしれない.そちらのお嬢さんにいたっては,エルメスのブリーフケースの中でメイス トリプルアクション<ホームモデル>を構えているやもしれぬ――.
 
 脱線した.
 
 環境計画論的に云えば「ノード」と呼ばれる場所で,すなわち人の流れの交点となる地点において,思わず立ち止まってしまう人が多くなっていないだろうか.人の流れを邪魔している人が多くなっている.ご本人は意識していないだろうが,足が止まってしまっているのだ.
 
 直接の理由はそれぞれあると思うが,多分そのような「それぞれの理由」で頭の中が一杯になってしまっているのは共通しているだろう.そのようなとき,背中に緊張感がなくなってはいないだろうか.自分の後ろに人がつながっているかもしれない,という意識がなくなっている.一種のスキが生まれている.
 
 人間の身体感覚や認識能力は石器時代から変わっていない,という説を何かで読んだが( くそ,また忘れてしまった.スタンレー・コレンの『睡眠不足は危険がいっぱい』だったかな ),一方,社会的な複雑さは加速度的に増加しているのは実感としてほとんど確実なわけで,飽和状態になってしまった認識や思考が一時的に動作停止状態に陥ってしまってもおかしくはないだろう.
 
 その停止状態が,ノードでの立ち止まりになって現れているのだとしたら,これは無言の警告と読み取るべきかもしれない.立ち止まっている人自身への警告であると同時に,それを見ている我々,邪魔だと感じた我々自身に対しての,まだまだ小さくて弱いけれども,実は深刻な警告なのかもしれない.
 
 考えるときは場所を選んで,立ち止まるように願いたい.周囲の邪魔になるだけでなく,事故に遭うかもしれないから.気づいたら横断歩道の真ん中で立ち止まっていた――では,シャレにならない.
 

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