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2005.01.04

事故原因

今年の空は明るいか?

 新年のご挨拶を申し上げます.
 今年はどんな年にしますか?
 


 
 実は私は単車乗りである.半年ほど,天気が悪かったり,仕事の都合がつかなかったり,体調を崩したりして乗っていないが,通勤で10年ほど目白通りを往復していた.その中でなんとなく気づいた感覚的な理屈がある.
 
 ある時,ある場所での複雑さが,ある程度を超えると,事故は起きる.
 
 たとえば単純な追突事故を考えてみる.普段ならブレーキをきちんとかけて止まるのに,その日に限って何か考え事をしていてタイミングが遅れてしまったとか,猫が飛び出して前の車が急ブレーキをかけたとか,土砂降りの雨で距離感覚を間違えてしまったとか――つまり,事故の当事者を取り巻く状況が普段よりも複雑になり,その複雑さに当事者達が対応できなくなった瞬間に事故が起きるのではないか,という理屈である.
 
 これを広く応用してみると,実はあらゆる不幸と呼ばれる事柄は,その時,その場所に居合わせた人々が,ある複雑な状況に対応できなくなってしまったときに出現しているのではないだろうか.本当はもっと単純な状況で満足していたいのに,居合わせた人々の存在も含めた複雑さの度合いが高まってしまって,その人達に対応できなくなったときに,不幸が出現する.
 
 であるとすれば,できるだけ自分を取り巻く状況を単純に保つように努力や工夫を続ければ,そのような状況に遭遇する確率を下げられるのかもしれない……と思い,オートバイに乗るときには周辺の車の流れなどを考えながら,できるだけスムーズに走るようにしている.さりげなく自分の前に車を入れさせたり,時には後続車に選択肢を与えない走り方をしたりする.迷いは複雑さを増す原因になるからだ.
 
 年末年始は我等一族の地,福岡で厄入りのお祓いを受けてきた.
 
 とうとう大厄である.恐らく昔の人は,ちょうどこの年齢が,当人と当人を取り巻く様々な状況や環境が複雑さを増す時期であると知っていたのだろう.確かにここ2年ほどで,自分を取り巻く状況や仕事での様々な絡み合い具合が,加速度的に高まってきている.
 
 だからこそ,できるだけ自分の生活を単純に,わかりやすいものにしたいと考えている.これまでは若さのせいか,あれが欲しい,これもやりたい――と溜め込み抱え込んできたが,これからは「何が捨てられるか,残すべきは何か」と考える時期になったのだろう.
 
 人間の絶え間ない,云ってみればエントロピーを低く保つ営みも,大自然という地質学的なスケールで起きる複雑さには無力なのかもしれない.しかし,なんとしても,我々は生きるのだ.そして,できれば,より良く生きるのだ.
 
 古人の知恵は気づきのきっかけを与えてくれた.
 感謝である.
 

 日本赤十字社の スマトラ島沖地震救援金募集中
 亡くなった方の冥福を祈る.
 

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