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2005.01.20

ちちんぷいぷい

たそがれ

 今日の私的ヒットニュースは「スマトラ沖津波は神がもたらした」.米国人の25%が,そのように考えているそうだ.
 
 これを笑うのは簡単だけど,入試の神頼みとか,初詣(はつもうで)とか,毎朝の星占いとか○○○ダイエットだとかを無視できないんだから,我々も同じなのかもしれない.このニュースを笑い飛ばした家人も,普段は台所の水神さんを無視できないようだし.
 
 一神教と多神教を一緒くたにするのは無茶なんだけど,何か心の拠り所が必要だということでは東西や時代を問わないようだ.そして,そんな拠り所を求める気持ちで金儲けしようとする人たちがいることも事実.
 
 最近はすっかり来なくなったが,家庭訪問の宗教勧誘,てのがあって,本人達は彼ら自身の神様を心から信じているのかもしれないが,関係のないこちらから見ると酷く滑稽に見えてしまったのはどうしてだろうか.もしかしたら神とか至高の存在というのは,語るほどに手が届かなくなってしまうのかもしれない.
 
 至高の存在とは,我々の存在を超えたところにあるわけで,ということは我々の体系では十分に把握できない存在ということでしょ? それを我々の「言語」という,云ってみれば現実を描写するには非常に不完全なシステムでもって表そうとするわけで,そんなことを繰り返し積み重ねるにつれて,どんどんと至高の存在からは遠く離れた,誰もいない冬枯れた野っ原に彷徨(さまよ)い出てしまうような,そんな心もとない気分になるのだった.
 
 しかし,そうやって婉曲的に語ること自体が至高の存在について描写しているわけで――て,これって自己言及のパラドクスだな.
 


 
 面白いのは,多神教文化の神様は機能分化していて,日常生活のTIPSとして機能しているということ.かまどの神様とか,水場の神様とか,辻の神様とか…….いわゆる八百万(やおよろず)の神様というやつ.
 
 それに対し,一神教文化はその構造自体が社会構造や人生というものを規定しているが,細かい日常の些事についてはほとんど関係ない,てところなんだろう.だから民族衝突とか大災害となると神様が出動するが,ちょっとした願い事なんかは聞いてくれやしない.けれども人は心の拠り所を必要とする.そこに「おまじない」という自助努力の方法が生き残る余地があるんだろうな.
 
 翻れば,八百万の神様がいなくなると,「おまじない」が増えてくるのかもしれない.そういえばパソコン用語とか携帯メールの省略した言葉って,「おまじない」めいていない?
 


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