« いやはや | トップページ | 当事者に「なる」と決意「する」 »

2005.01.15

永遠の淵

冬の静かな日ざし

 とうとう雪は降らず,終日,冷たい冬の雨が降っていた.受験生にはよかったのだろう.静かな雨が降り続いている.ふと,無限とか永遠とかについて,思い出したように考えていた.無限の経験,永遠の命を得たとしたら,どんな気分だろう.
 


 
 そもそも自然には無限なんて存在していなくて,無限というものは人間の認識が考え出したものなんだが,その魅力に我々自身がとらわれてしまっている.おそらく宇宙開闢(かいびゃく)以来の時間の流れの中に,自分はほんの数十年という短い時間存在し,周囲を認識し,考え,反応したり行動したりしなかったりして,そして,それがいつなのかは知らないが,恐らくはほとんど確実に死んでゆく.
 
 その瞬きする時間の間に触れている無限の時間の軸線に思いを馳せるとき,この流れはどこからやってきて,どこへつながっているのだろうか,と考えてしまう.しかし,それを見通すことは絶対に不可能だ.
 
 いま,ここで見えている平和な穏やかな光景も,愛しい人達も,やがては変化して消えてしまう――そんなことを小学生の頃に感じて,なんだかひどく虚しく切なく感じたことを思い出していた.
 

 
 大学の数学の時間で,フラクタルやカオスをやっていたとき,無限にも「近い無限」と「遠い無限」があるのだと直感して感動すると同時に,どんなに「近い無限」であっても自分達人間には触れることができない,と知って哀しくなった.あくまでも理論で想定することしかできない.数学的に証明できたとしても,目前にまでゆくことはできないのだ,と.
 
 無限に続く時間軸の果てに永遠があって,それがわかるのに,触れられない.
 
 Stoogy の I Kissed Infinity という曲を聴いたら,そんな深淵を覗き込んだような哀しさを感じてしまった.悪い気分ではない.
 

« いやはや | トップページ | 当事者に「なる」と決意「する」 »

ウェブページ

フォト

hide module-header

redirect to tafworks.com

GglAnlytcs