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2005.02.14

イナイいないバァ!

地下鉄駅ホーム

 どんなにヒントを与えても,気づかない人は気づかない.ろくでもないほど気づいてくれない.それは,人間にとって理解できないことは存在しないも同然だからだ.
 
 たとえば仕事で,新しいアイディア,新しい企画,新しい仕組み――それらを考えついて,隣の人と共有したいと思ったとしよう.この思いつきをもっと深めて,お互いに役立てたいと思ったとしよう.うまくゆけば会社の利益になるかもしれない.そして,隣の人のいまの状態や背景を考えて,できるだけわかりやすいように話を組み立てて,仕事の邪魔にならないタイミングを見計らって話したとする.
 
 ところが彼/彼女は「ああ,そうですか」と暖簾に腕押し状態だ.面白いともつまらないとも云わない.「その考えには欠陥がありますね」とも云ってくれない.無反応なのだ.このとき,どこまで彼/彼女に食い下がるべきか,と最近悩むことが多くなった.前述の命題はどうやら本当ではないかと,やや絶望的に諦めを感じることがある.つまり,
 
 ――理解できないことは,その人にとって存在しない
 
 理解させるにも限度がある.こちらも仕事を抱えているし,相手も仕事を抱えている.お互いの理解を深めるにしても,環境が許さない.そりゃ,たっぷりと時間をかけて,手取り足取り説明してあげれば,なんとかわかってくれるかもしれない.しかし,そんなゆとりがないのだ,哀しいことに.隣の人間ではなくて,理解できる人間を探し出したほうが早いような気がする.
 
 しかし人間なんてお互いに完璧に理解できるわけないので,この命題は少し修正したほうが良いようである.
 
 ――理解しようという姿勢があれば,対象は存在し続ける
 
 たとえば,恋人のことを100%理解なんてできやしない.長い間つき合っていても「あれ,そんな考えなんだぁ~」と驚くことはしょっちゅうだ.完璧に理解できているなんて思っているんだとしたら,それはオメデタイ幻想の中に浸っているだけだ.しょせん理解できないのだ.だから対話というものがある.
 
 だが,理解しようという姿勢は,本人自身の問題であるところが困ったところだ.
 
 馬を水場に連れてきても,無理やり水を飲ませるわけにはゆかない.水を飲むかどうかは馬の気分次第.理解しようとするかどうか,彼/彼女の勝手である.
 
 理解しようという姿勢の根本は,問題意識を持っているかどうかなのだろう.あらゆることは,実は深いところでつながっている.だから,ある事柄に問題意識を持てる人は,他の事柄に対しても同様に問題意識を持てる.どこまでそれを掘り下げることができるか,という能力的な問題はあるが,ともかく問題意識をきっかけにして,好奇心を原動力とすれば,理解しようとする姿勢を維持できるようだ.これは経験的法則である.
 
 理解しようという姿勢を維持できれば,その人にとって世界は存在し続ける.理解しようとすることは,自分という世界と,自分の外側の世界の間を交通させる手段なのだ.隠された向こう側に何があるのだろうか――という意識が,向こう側の世界を存在させる.
 
 さて,あなたの周りの人々にとって,果たして世界は存在しているだろうか.
 

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