« 春休み,遠くになり | トップページ | カッコよく変身しよう »

2005.03.17

ツヨくてエライ

ベンチ

 小説の要不要についてよく思うのは,小説は既に人間にとって必需品になってしまっていて,小説家は農家と同じくらいエライのだ――ということ.
 
 自分を中心としたお金の流れについて考えるとき,常にその思いにたどり着いてしまう.私が仕事をしてお金をもらう.では,私にお金をくれる人は具体的にどんな人達で,そのお金はどこから来たのか? 「造幣局から来た」というのは,この問いに対しては不正解.
 
 めぐり巡って遡ってゆくと,お金がこの世界に最初に現れる場所は「耕す人々」「採る人々」「獲る人々」「創る人々」「造る人々」なのだろう.人間が生まれもって手にしていない物事を,世界で初めに手にする人々.畑を耕し,木を採り,魚を獲り,フィクションの世界を創り,道具や建物を造る人々だ.
 
 自分が売っているものが,単に右から左へ,何の価値も付加されないで通過してゆくだけだとしたら,それは一番エラクナイのかもしれない.マスコミで仕事をしている自分は一番エラクナイのかも.
 
 ……いやいや.手にした素材情報を組み合わせて,新しい価値を作り出しているじゃないか.その新しい情報を欲しがる人々がいるから,こうやって何とかやってゆけるわけだし,テレビもラジオも新聞も,そして雑誌に書籍と買っていただいているわけで……と考えるのだが,いまひとつ説得力に欠ける気がする.もしかして,所詮は業界内での自転車操業?
 
 やはり一番ツヨくてエライのは,素材を商材として持っている人達なんだろうなぁ.人間や世界の素材としての農林水産物,組み合わせの素材としての創作物.ツヨくてエライ,というのは私的な尺度であって,貴賎があるということはないので,あしからず.
 
 最近のニッポン放送=ホリエモン騒動で「自分が作っているモノ達って,いったい世の中ではどんな意味があるのだろう」と考えてしまうわけです.「こんなもの要らない」と云われる代表選手なんじゃないか,って.
 

« 春休み,遠くになり | トップページ | カッコよく変身しよう »

ウェブページ

フォト

hide module-header

redirect to tafworks.com

GglAnlytcs