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2005.06.10

虚業って

薄闇

 しばしば,あ〜自分がやっている仕事って何なんだろ,と思ってしまう.
 
 マスコミの末席に座り,日々「情報」と呼ばれるものを右から左に動かし,時には複数の「情報」を組み合わせて付加価値をつけたり,「世の中」が「必要」としている「ニュース」を提供している――と自分達で思い込んでいるだけで,実のところ,要らないことを繰り返して,無駄を積み重ねているだけなんじゃないか,と思うのだ.10年間こんな疑問を繰り返しているが,まだまだ明確な答えにはたどり着けない.
 
 そもそも,人間の活動には「無駄」が多くて「生きるために,本当にコレは必要なんだろうか」と思われるモノやコトが溢れている.その最たるものが「マスコミ」なんだろうと思う.その中でも「ニュース」と呼ばれる“コンテンツ”ほど無駄なものはないのかもしれない,と.
 
 これって,一種の自己否定なんだけどね.
 
 ネットが普及することでニュースソース=情報源にたどり着くことが容易になってきた.個人や組織などが的確な解説を公開していたりするから,社説とかニュース解説なんてのが要らなくなりつつあるのかもしれない.
 
 かたや,ウワサやデマなども混じっていて,その情報の信憑性に関しては疑問の余地があるにしても,新聞やテレビが誤報道や不完全な取材なんぞやっているのを見ると「信憑性って何?」と,改めて問い直したくなってくる.
 
 ニュースや報道というと社会性が絡んできてハナシが複雑になるから,ここは「物語」に代表される「フィクションという情報」を考えてみるといいかもしれない.
 
   なぜ我々は物語を必要とするのか
 
 物語ほど生物的生存から離れたものはないと思われるのに,どうして私達はこういうものを望んでやまないのだろうか.小説,映画,ドラマ,エンタメ番組,ゲーム,着メロ,写真,スポーツ,ファッション,流行,独特の言い回し,マナー,制度,政治,行政…….いくらでもある.身の回りを取り囲んでいるもの,私達が見たり聞いたり触れたり感じたりする事どものほとんどが,そのような「物語=仮構物」なんだろう.生存に直接必要なものではない.仮に取り決めとして決めてあるだけだ.だから制度改革なんてことができる.生存に直結していたら変更なんてできない.変更=即死だ.
 
 こうやって書いているブログもそうだし,ネットやパソコンという壮大な仮想空間は「物語=仮構物」以外の何モノでもない.日々消費しているもののうち,私の生存に必要なのは水と食料だけで,あとの支出はすべて「物語=仮構物」を手に入れ,愛で,安心するために使われている.
 
 既に巨大な大脳を持つ人間にとって,「物語=仮構物」とは生存に必要なモノになっているのだろうか.その心地好さを知ってしまった以上,知らないフリはできない.だとしたら,いまの自分の仕事にももう少し意味を見出せるだろうし,日々の営みに正当性を与えてやることもできるのだが.つまり,小説家は第一次産業従事者と同じくらい偉い,と胸を脹れるかもしれない.
 
 結局,快楽主義的なのかな,基本的に.


 誰かが必要としているから存在していられる――マティ
 
 
 

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