« 会社にしがみついている自分自身がいちばんの悪者 | トップページ | 流れの先にあるのは日腐れた澱み、かも――SAPIO:大新聞の「余命」に寄せて »

2007.09.27

ゆっくり生きるのは、深く生きるということ

 テレビを消し、新聞をやめ、ネットのフィードやニュースサイトには近づかず、できるだけゆっくりと自分の暮らしを生きることは、自分の人生を深めるということなんだろう、と、コーヒーをいれながら考えていた。コーヒーをゆっくりドリップすると、それだけコーヒーが美味しくなる――ということからのアナロジー。


 日々の仕事や雑事に追われて、まるで原生動物が刺激に反応するように無思考に生きるのはくたびれてしまう最大の原因だ。


 新聞なんて読まなくても生きてゆける。それは実証済み。ニュースサイトだって不要。ポータルのニュースがあるし、なんといってもNHKニュースがある。それだってラジオ第一を聞けばいい。そもそもパブリックになっている情報では、自分を他者と差別化することなんかできない。週刊誌のすべて( Newsweekは除く。あやしいけど )、月刊誌のほとんどは不要。


 肝心なのは、自分の人生に影響を与えるか、自分の日常生活に変化をもたらすか、自分の行動を変えるものかどうか――そこが見極めの重要なポイントになるだろう。もちろん、そのような機能をもつ新しいメディアが登場するなら、歓迎するにやぶさかではない。


 あふれる情報とそれに対する瞬間的な判断や選択、そしてその繰り返しと積み重ね。個々は大切かもしれないが、果たしてそれなしで生きてゆけなくなるのかどうか。単なる中毒性の反応なのではないか。そしてその反応の集積が、自分自身の毎日を圧迫していないか、立ち止まって考えたい。


 そうすることで本当に大切かつ必要な仕事に注力できるのだと思う。





« 会社にしがみついている自分自身がいちばんの悪者 | トップページ | 流れの先にあるのは日腐れた澱み、かも――SAPIO:大新聞の「余命」に寄せて »

ウェブページ

フォト

hide module-header

redirect to tafworks.com

GglAnlytcs