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2009.08.17

多様性と混沌の境目

(以下、思い込み的に)

ヒトが、自分が見たり触れたりするものに物語性を見つけるのは、そこに意味を見い出し、自分の行動に変化を起こしたいからだ。

なぜ変化を起こしたいのかというと、行動の変化によって自分のあり方に多様性が現れるからだ。多様性は、生物の生存戦略として、遺伝子に組み込まれている。ヒトが社会活動、経済活動、そのほか○○活動というものすべての根元基盤は、そんな遺伝子レベルの理由が支えてくれている。文明や歴史の由来でもある。

友達、仲間、味方、同類を見つ出すのも、異種を区別して多様性を作り出すためだ。もし同じものばかりを望むのだとしたら、いまごろ、世界は単一民族になっていただろう。異なるものを見い出すのがヒトの基本機能なのだ(だからイジメや差別や戦争はなくならない)。

ヒト同士に限らず、八百万の神のように、草木や大地や空や海に魂を見出し物語を紡ぎだすのは、目にするもの触れるものに意味を見出したいからだ。意味を見出し、その意味をテコにして自分自身の行動に変化を与え、多様性を生み出したいからだ。

だから、ヒトは物語を持つこと、すなわち、自分の生き方や欲求を持つことに自信をもっていいのだろうし、すべての行動や行為には理由があるのだと安心していていいはずなのだが、困ったことにそこで迷いを抱いてしまう。たぶん、多様性を限りなく見つけ出そうとする思考の努力のせいなんだろう。努力が迷いを生み出す。

迷いの前では、見えている多様性が、単なる混沌としか目に映らなくなる。すると、そこに意味を見失ってしまう。物語を見逃してしまう。何のために物語を見つけようとしていたのかすら忘れてしまう。そこには、異種を識別するという基本機能だけだ。

つくづく、ヒトというのは面倒にできている。

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