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2009.08.19

私がtwitterを半分だけ使う理由

論を立て理を説くのに疲れたから、twitterが流行るんじゃないだろうか、と思った。

twitterは、ブログよりもずっと人間の思考や表現に近いスタイルだと思う。人間は、四六時中ひとつの理屈をこねくり回しているのではなく、思考やコミュニケーションの大部分は断片的で散文的で、おそらくそれらをすべて自動的に文字で記録したとしたら、実にばかばかしくてクダラナイ文章となるだろう( たぶん電脳通信には何らかのフィルタ機能が必要になるんだろうな )。

でも、そんなばかばかしい思考の切れ端で、私たちは毎日生きているわけだ。そして、現実世界ではそれがフツーだと思っているし、それでなんら困らない。そんな思考の切れ端は、いわゆる雑念と呼ばれていたりする。よほど深刻な事態か、鍛錬したのでないかぎり、人間の思考は雑念が束になっているのが日常の風景なんだろう。たとえば、会社の近くの駅で通勤電車から降りるとき、その電車に乗るときに何を考えていたかをハッキリと思い出せるかどうかを試してみればいい( きょうの仕事のことなのか、昨日食べた黒豚のことなのか、それとも…… )。

そして、twitterは2ちゃんねるに似ているかもしれない。断片的で無責任だけど、瞬間瞬間の人間の思考に近いスタイル。だから、そこに「意味」を見出したり「無意味」だと断じたりするのは、ちょっと軸がずれているんだと思う。確かにそんな「意味」とか「価値」を見出せるだろうけれども、それはメッセージを読んだ人間が勝手に読み取っているに過ぎない。(ちなみに“世論”というのは、読み取りの方向が概ね偶然そろってしまいました、という状況だ)

わたしは twitterにメッセージを投稿しているけれども、フォローはしていない。ちょうど、地面にあいた底なしの井戸に小石を放り込む感覚に似ている。twitterの重要な仕様として Followがあるらしいけれども、それを使っていないので“半分”しか使っていないと書いた。

twitterに書き込む、そしてそれを自分のブログの右カラムに表示しているというのは、「とりあえず生きてるよ」というパイロットランプが点灯しているようなものに過ぎないのだろう、と自分では考えている。もしかしたら何百年も未来になってインターネット考古学の学者が、太古のストレージからこのつぶやきを取り出したとしたら面白いだろうな、と。ああ、こんな人が生きていたんだ、ふぅ~ん。

メッセージから意味を読み取るのは、そのメッセージを読んだ人の勝手だ( ウェブマーケターの言葉じゃないみたいだ )。こちらから何かを感じてくれとか考えてくれ、と押しつけがましくするのは、なんか違う気がする。「マネタイズできないじゃん」なんて筋違いもいいところだろう。読んで、そこで何かを考えたり行動してみたり、というキッカケの隅っこのカケラのようなもので十分すぎるくらいだ。そんなカケラになったことすら知らなくてもかまわない。

でも、めぐり巡ってカケラになる可能性だけは絶対に消えない。そのことは既に知っている。ネットに出してしまった以上、それがどのように流れ漂ってゆくかは、もうそのメッセージ自身の“運命”とか“因果”であって、書いた自分の手を離れた瞬間にそのメッセージという存在自体が自立性を持ってしまう。

そんな思考の断片は、書かれたときの場の雰囲気を携えてやってくる。たぶん、twitterを使っている人は、論を立てるなんてことじゃなくて、そんな空気感の面白さとか気楽さに気づいたのではないだろうか、なんて考えている。空気感が“受け取られること”ではなく、“受け取られるかもしれない”という可能性の軽い面白さ。

投稿されたメッセージは、たぶんそのほとんどが PublicTimelineのかなたに流れ去り、APIでさえ取り出せない彼方に消えてしまうのだろうけど、でもそれでも構わないと思って「夕食なう」なんて書き込んでいる。

論を立てるのが建物を造ることだとすると、思考の断片のひとつひとつは建築部材のようなものかもしれない。「このような○×△工法で作り上げた、高さ××メートルの大伽藍」なんて大上段に構えるのではなく、「この漆喰はキメが細かいね」とか「そのドアハンドルの真鍮のひかり具合が好きだな」というレベル。そんなレベルの思考だって立派に存在できるし、流通されるんだね、と気づかせてくれたのが twitterだったのかもしれない( たぶんネット自体の持つ可能性の露頭なんだろう )。

どんどん流れ去って、もしかしたら誰かの目にとまって、その人の行動に影響を及ぼすかもしれないし(=情報化)、そのまま流れて消えてしまうかもしれない(=データのまま)。でも、どちらでも構わない。

たぶん、インターネットとか検索エンジンというのを信用しているから、こんな希薄な可能性でも満足できてしまうのだろう。投稿したメッセージは、もしかしたら Googleにインデクスされるかもしれないし、自動生成のブログに引用されるかもしれないし、そんな具合にジワジワと消えながら拡散してゆくのだろう。もしかしたらそんな漂流していったメッセージが、誰かの人生を変えるかもしれないし、その可能性だけは決して消えることがない。

もしかしたら、もしかしたら……。

そんな光景を想像しているだけでうっすらと愉しくなる。だから、わたしは twitterを“半分”だけ使うのだ、と自分で勝手に理屈をつけている( 金麦なう )。

【参考】
私がTwitterを使わないわけ
http://jp.techcrunch.com/archives/20090817why-i-dont-use-twitter/

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