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2009.11.09

世界で一番遠いのは自分の背中

海外から帰ってきたばかりだと、東京の街並み、特に看板やショウウインドウの日本語が奇妙に感じられる。頭が横文字モードになっているからだろう。

自分というのは確かに存在していて、いまココにあると信じているわけだが、じゃぁ、それを支えているのは何なのか、自分が自分自身について考えているという意識感覚なのか、それとも自分が見たり聞いたりしている、つまり五感で感じている自分以外のものの存在が支えになっているのか。そうやって考え始めると、ついさっきまで確信していた自分というものがあやふやに思われてくるので面白い。

自分という主体が確かに存在しているという実存感覚は、自分の周りにあって五感されるアレヤコレヤの客体が確かに存在しているという実存感覚に支えられているのだとしたら、自ら見ることのできない自分自身は果たして確実に存在していると言えるのかどうか。自分の脳みそを誰も見たことがないと言う草薙素子や、世界で一番遠いのは自分の背中だ、というクラフト・エヴィング商會の作中のコトバを思い出す。

そう考えてくると、普段見慣れたものも「それがそこにある」という仮定でしかないのかもしれない、と感じられてくる。帰国直後の日本語が表層的で、内容と微妙に乖離している感覚に似ている。

茂木健一郎氏のエントリを読んで、そんなことを考えていた昨夜の自分を思い出した。

the qualia journal: Alienation of the familiar
http://qualiajournal.blogspot.com/2009/11/alienation-of-familiar.html

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