毎日新聞はラグジュアリー紙となる、か
毎日新聞と共同通信が提携、取材・営業体制を強化
http://markezine.jp/article/detail/8953
毎日新聞社、共同通信社、共同通信社加盟社は26日、新しいメディアを構築するパートナーとして、協力関係を強化していくことを発表した。全国紙、通信社、各都道府県を拠点とする新聞社の三者は、取材や営業の体制強化をはかりながら、総合的な「新聞力」向上を目指して連携する。 2010年4月1日には、毎日新聞社が共同通信社に加盟し、紙面について三者間によるキャンペーンの展開やシンポジウムの開催などを行うとともに、毎日新聞社は共同通信社加盟社と、地域面の記事配信で協力する。
三者はスポーツや文化・展覧会事業の共催などを行うほか、取材連携、紙面制作システム、新聞の印刷委託、新聞販売網の効率化などを進める。
毎日jpは記事が1ヶ月でなくなるので、マーケジンから引用した。
旧4マス系が運営するいわゆるニュースサイトの近い将来について書こうと思っていたのだが、こんな報道があったので、業界のすぐ横で働く人間として何か書かねばなるまい。
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新聞社の機能のうち、出版、新聞販売、広告営業、事業主催、印刷(組版を含む)、総務、配送などはアウトソースできる。実際にやるかどうかは問題ではなく、テクニカルに可能な状況が整っているということ。既に毎日新聞は自前の新聞印刷と配送機能を持っていないはずだ。( だから「某宗教団体の印刷を請け負っている毎日新聞は」という指摘はピントがズレている )
次に、取材(記者)、編集、校閲というのは、新聞ビジネスのコアとなる部分なので、アウトソースが難しい。だが、ネットの発達と普及が「誰でも記者」を可能にしつつあるところを考えると、取材がやや怪しくなってくる。実際、時事通信や共同通信といった通信社からニュース記事を買うということは、かなり昔からおこなわれてきた。
とすると、新聞社のコアは、編集(編成)と校閲になる。特に編集部分を取り除いたら、それは新聞社とはいえない存在になるだろう。集まったニュースを取捨選択し、どのようなタイミングで、どのように並べて組み合わせるかを決め、どのように演出するかを考える中枢部分だ。
外部からニュースコンテンツの提供を受けるということは、記事の文責をニュース源となる共同通信や地方紙と分担することが可能になるということで、おそらく校閲機能を軽くすることができる。その分、人的リソースを編集に振り向けることができる。
とすると、毎日jpの記事にあるように「本社の記者は独自の視点で取材を進め、強みとしてきた調査報道や解説記事をより充実させる」とか「新聞社の役割は水面下に隠れた情報の発掘や解説記事にシフトしている。本社は、できるだけ多くの記者をこうした取材にあてるため」というのはわかる。
こうすることで、毎日新聞独自のテイストを濃く強くすることができる。その内容がどうであれ、コンテンツを濃くするということは、ニッチな需要を得る可能性を高められるということだ。
ただし、ここで機能として必須になると思われるのが、市場からのフィードバックを受信する機能になる。ニッチを指向することは顧客単価を高めることにつながるが、同時に顧客の全体数が減ってしまう。味はいいけどパイが小さくなる。だからできるだけ大きなパイを狙う必要が出てくる。味と大きさを乗じたものが最大化される領域を目指さねばならない。そのためには、何を望んでいる読者がどれくらいいるのかを、かなり精密に把握しなければならない。
が、現在のところ、読者の姿を精確に把握できるシステムが(全国紙の)新聞社には存在しない。なぜかというと、新聞配達のラスト1マイルは、地域の販売店が掌握していて、本社機能とは切り離されているからだ。だから、どんな読者が読んでいるかは、外部の調査に頼ることが大きくなる。新聞販売店と新聞社は別の組織なんです。
もし本社が読者ひとり一人を把握しているなら、ウェブを使ってきめ細かいサービスを展開できるだろうし、そこにマネタイズの鉱脈があるはずなのだが、いまのところそれは実現できていない。
ということで、まず市場のフィードバックを受信し、適切な施策を組み立てて実行するためのPDCAの仕組み作りが重要かつ緊急性の高い課題となるだろう。それをやらないと、「ジャーナリズムとは」とか「調査報道とは」という思い込みだけで会社を“経営”しなければならない。
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今回の発表で違和感を感じるのは、包括提携の「スポーツ・文化事業など事業面の協力を進める」「3者間でのキャンペーン展開などこれまでにない試みや協力を進める」という部分だ。
新聞社のビジネス・コアからすると、この辺は瑣末な事柄に思われる。たぶん、新聞“紙”を販売するためのマーケティングとかプロモーションの部分なんだろうが、この辺は本社機能が自らあれこれやる必要はないんじゃないかと思うのだ。広告代理店に任せておけばいいし、おそらくはそうするつもりなのだろう。と考えてくると、この部分は地域の販売店へのリップサービスとして割り引いて見るのが妥当かもしれない。
あと、今後のテーマにある「共同通信社との航空取材の連携」と「紙面制作システムや印刷委託、新聞販売網の効率化など」は純粋にテクニカルで当たり前な課題なので、あえて発表するほどのことではないと思う。
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いっそのこと、調査報道と解説(社説)でガッチリ固めてしまって、他社と横並びではない紙面構成にすればいいんじゃないだろうか。最高の人材、執筆陣をそろえて、記事の冒頭を読んだだけで「あ、毎日新聞だね」とわかるような濃いテイストにしてしまう。
「毎日新聞を読んでいる人は(良い意味で)ちょっと違うよね」、というブランドイメージを確立できれば、紙を中心として十分に食ってゆけるとおもうのだ。購読料が今より高くても読む価値がある紙面にすれば、発行部数が多少減っても収益は増える。
だが、そのときの新聞は、もはや現在の新聞“紙”とは違ったものになっているだろうし、そうでないと生き残れないだろう。そのためには、「なかの人」がこれまでの価値観や意識を捨てて、ゼロから「新聞とは」を考え確立しなければならないのだろう。
別の機会に書けたらいいのだが、新聞と新聞紙と新聞社と記者とジャーナリズムは別々にして考えないといけない。一緒くたにして考えている限り、新聞“紙”という存在に拘束され続ける。
もしかしたら、今回のこの“事件”は、十年後に振り返ってみると「ああ、あれが新聞業界の転換点だったんだね」となっているかも。ま、そうだといいんだけど、ね。
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