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2009.12.22

正月のお節をスクラッチで作ったのは今は昔

子どもが小さいので、飛行機に乗って里帰りなんてのがまだまだ難しい。新型インフルエンザもまだまだ怖いし。だって、1時間も高度1万メートルの密室に閉じ込められるんだよ? 前後の座席の人が新型インフルでごほごほ咳してるとか、いやじゃん。

ということで、今回の年末年始も家族そろっての飛行機に乗っての里帰りは無し、首都圏に住んでいるおじいちゃん・おばあちゃんのほうだけに、元日に挨拶にゆくつもり。

で、基本としては正月を自宅で過ごすことになるわけだ( つまり、親元にたかることができない )。

「あ、お節の注文って、そろそろ終わりだよね」と気づいたのは、息子が乗ったベビーカーを押して歩いている昨日の日没後のことだった。「でも、お節って、意味なくなってるよね」

昔は店なんかが年末年始に閉まってしまって、その間の食料を確保するために一種の保存食としてお節料理が必要だったんだと思うけど、最近は冷蔵庫があるし、コンビニがあるし、元日2日には店が開いていたりするしで、お節料理の本来的な意味合いが薄れてしまっているのだろう。

思い返せば( 年寄り臭いね )自分が子供の頃は、年末の休みに入った共働きの両親が大騒動しながらお節料理をイチから作っていた。紙に包まれた重箱が吊り戸棚の奥から、屠蘇器と一緒に取り出され、台所の窓はコンロの熱と鍋からの湯気でびっしりと曇っていて、お煮しめの味がどうのとか、黒豆にシワが寄ったのとか、師走恒例の緊張状態が毎年繰り返されていた。

それがいつの間にか、黒豆とか数の子や栗きんとんがタッパウェアのまま食卓に出るようになり、お煮しめはアルマイトの鍋から器に直接盛り付けられるようになり、やがてはお節料理自体が大晦日に横浜高島屋まで受け取りに行くものにかわってしまっていた。

「この子は、お節料理を自宅で作る光景なんて、きっと見ないんだよねぇ」「そだねぇ」

それが果たして良いことなのか悪いことなのかわからないけど、そうやって徐々に歴史というものが積み重なるんだなぁ、と、「おつきさま!」と空を指差す息子といっしょに四夜の月を眺めながら帰ってきた。

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