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2010.01.13

電球型蛍光灯、エルメス、新聞紙

きのう届いた JMM566Ex は、“「電球型蛍光灯への移行」平らな国デンマーク” ということで高田ケラー有子氏の記事だった。欧州では白熱電球の製造をすべて中止する方向で動いているそうで、そのかわりにLEDや蛍光灯に移行してゆくのだそうだ。

そんなこともあるので、きっと照明器具の規格が変わるだろうということで、我が家では新規の照明器具の購入は見合わせている( 妻に云わせれば「日本製はデザイン的に論外」なんだそうだ )。

で、高田氏はこの件に絡めて二つのことを書いている。ひとつは、廃棄物となってしまったときの電球型蛍光灯( 電球形蛍光灯 )の処理の方法について適切なアナウンスが社会的になされていないんじゃないかということと、もうひとつは、先述の“デザイン”的に現在の照明器具と電球型蛍光灯とは相性が悪いよね、ということ。

そういえば電球型蛍光灯って、どうやって捨てればいいんだ? 以前、うっかり割ってしまったときにヘンな匂いがして気分が悪くなったことがあるけど、アレは結構ヤバイ状況だったのかもしれない。不燃物で捨てちゃったよ。

まぁ、それはとりあえず置いておいて( いいのか、おい?)、デザインに関係して「白熱電球って、ノスタルジーだよね」と思ったのだった。

白熱電球は光の色なんかが優しくて、子どもが生まれる前には、野暮で無粋な蛍光灯なんて使ったことはなかった( あくまでも私見です )。台所の流しの蛍光灯にもクリップ式の電球式ライトをつけて使っている( こちらはクリプトン球のレフランプだけど )。さすがに、子育て中には十分な明るさが必要なので、天井取り付けの蛍光灯を使うようになったけれど、子育てに一段落したら、たぶん蛍光灯を使わなくなるだろう。

で、40代も半ばの私が「白熱電球」で思い浮かべるのは、天井からぶら下がった黒コードに白いすりガラスの傘がついた裸電球で、ソケットのスイッチを“キュッ”とひねるやつ。日が家並の向こうに沈み、外が薄青く黄昏れ時を迎えて、ちょっと煙ってるのは近所で落ち葉焚きかなんかのせいで、板張りの廊下の先にある木戸の手前なんかは真っ暗になっていて、そこで“キュッ”と居間の電球を点すと畳の上に柔らかい光が落ちて、磨きこまれたちゃぶ台の表面がいろんな濃淡のこげ茶色の艶を見せている――なんて光景なんだ。台所からは木のまな板で何かを切っている包丁のトントントントンなんて音がしてね( ステロタイプだけど、仕方ないじゃん。これが子どもの頃の記憶なんだから )。

まぁ当時は塩ビを燃やすやつなんていないから落ち葉焚きでダイオキシンの心配はいらなかったろうし、電球の数が少なく、無闇にあちこち照らし出すなんてこともないから家庭用白熱電球の消費電力なんてたかがしれていたことだろう。

蛍光灯にそんな思い出がないでもないけど、白熱電球にくらべてどこか無機質というか素っ気ない記憶しかないような気がする。繰り返し蛾がぶつかっていた夜中の自販機の光だとか、空調のダクトが丸見えでのっぺりと照らし出された会社の中だとか。

白熱電球には郷愁的というか、ひとりでひそかに甘えることができそうな過去の記憶とつながっているような気がするんだけど、私だけかな?そんな一種ノスタルジーのような感覚というか感触というか、そんなものが欲しいからこそ、“電球型”蛍光灯となるのかもしれない。つまり、「ノスタルジー」という情緒的な価値が商品化されているんじゃないか、ということ。

で、そんなことを敷衍してみると、「ノスタルジー消費」というラグジュアリー消費があるのかな、と。

私が働いている新聞業界はいよいよきな臭くなってきているんだけど、これはもしかしたら、ムリして新聞紙を「必需品」にしようとしているからなんじゃないか、と。ニュースの伝達媒体としての機能をさっさとネットに譲り渡して、「新聞紙というノスタルジー」をメインの価値にして再構築したらいいじゃないかな、と。「新聞(紙)」というモノと、それにまつわる文化的な匂いをフルに活かしてやれば、まだまだ青い海があるんじゃないかな。たとえば、「新聞とカフェ」なんてお似合いの組み合わせだから、21世紀型カフェ文化なんてやつの核になれるかもしれない( ムリ?)。マホガニーをたっぷり使った法律事務所にも似合いそうだ。

必需品がありふれた日用品になって、同時に単価がどんどん下がってしまって、どの商品でも似たようなどんぐりの背比べ状態になったとき、もう安売り競争しか残されていなくてあとは体力勝負というわけで、その真っ赤な海から逃げ出すには別の価値軸を見つけ出す必要があるわけだけど、乗馬や馬車なんてのが廃れて馬具とその製造技術がラグジュアリー消費に供するべく向かったように( エルメスってそうじゃね?)、新聞“紙”もそっち方面で研究してみればいいのに。

なにも手帳なんてコードバンである必要はないけど、やっぱりあの艶とか手触り、質感というのは捨てがたい。一種の贅沢消費だよね。

さらに敷衍してみると、観光用の蒸気機関車だとか、寝台特急電車のサンライズエクスプレスだとか、JR九州を走っている水戸岡印の車両なんてのはノスタルジーだとかラグジュアリーだとかに価値転換した例になるだろうし、そもそも観光旅行なんてのは情緒を愉しむ消費財なんだろうし、もしかしたら東京における自動車なんてとっくの昔にそうなんだろうな、と思ったりもするわけだ( おっと、唐突に)。

電球型蛍光灯のような新聞、って、どんなだろうね。

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