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2010.04.13

「今後のこと」とか「将来」なんて考えたくない

新年度が始まって十日。会社の目標、事業所の目標、部門の目標、もしかしたら自分で決めた目標なんてものがあるかもしれない。いずれも、まだまだ今年度の最終日なんてずっと先のことだから、あれしよう、これしようと気楽に眺めることができるだろう。いまから切羽詰まって年度末を考えているとしたら少々あぶない。いろんな意味であぶない。

目標とか課題とか会社のビジョンだとか、そんなものたちを気楽に見られる4月というこの時期なわけだが、「今後のこと」とか「将来」となると何だか鬱然としてウンザリしてしまう。これは私だけなのかな。

期限が近い、つまり日数からするとゆとりのない年度目標よりも、期限が数年単位で遠い時間的ゆとりのある「今後のこと」とか「将来」のほうが憂鬱になることについて考えてみた。

子どものころは「将来は○○になる」のような希望とか夢とかを無邪気に語ることができたと思う。それがいつの間にか「将来」というコトバに翳りが出てくるのは、「受験」というコトバが人生にすり寄ってきたころかもしれない。たぶん十歳ころ。

それからの30年間は、「今後のことで話し合いたい」とか「きみの将来についてだが」というコトバがいつでもつきまとっていて、正直、「今後のこと」「将来」は眉間にシワを立てた人が、こわばった笑いを頬に貼り付けて鬱陶しくにじり寄ってくるものになってしまっていたのに気づいたのは、最近のこと。(結構にぶい?)

「今後のこと」とか「きみの将来」には、実は「わたしにとっての」という接頭語が隠されているらしい。

大抵は、こういうことを云うのは親や先生や上司といった「上」の人たちで、親身にこちらのことを心配してくれている場合もあるかもしれないが、概ねはその人たち自身にとっての「今後のこと」とか「将来」のための“投資としての心配”だったりするわけだ。たまには一回り以上若い人から「将来のこと、考えたがいいっスよ、ほんと」なんて云われたりするけど。

四十を過ぎて「今後のこと」とか「将来」なんていう時間的ゆとりがなくなったから、誰も投資対象として見てくれなくなったらしい。最近は云われなくなった。云われなくなったから、状況をちょっと突き放して見ることができるようになって、こんなメカニズムに気づいたのかもしれない。

所詮、自分も含めて人間は自分自身が一番かわいいし、自分という意識や肉体があるから、どうしても思考の原点が自分になってしまう。だから他人の未来も、自分自身を助けるための投資対象となる。おそらくは生物的な生存本能、そのための生存戦略あたりに理由があるんだろう。

綺麗事は云ってられない。たぶんどうしようもないことなんだと思う。ただ、この辺の仕組みや構造を意識しているかしていないかによって、四十過ぎたときの幸せ感とかが大きく違ってくるんだろう。

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