「おもてなし」を輸入する。円高だし
昨日の夜にKindleが到着して、夕飯の後で開いていじってみた。よくできている。日本製のあれこれには要らんソフトやアイコンやらがデスクトップにバラバラ散らかっていたり、家電品だったら「○○%吸引力アッップ」とか「××フィルタ搭載!」なんてシールがごたごたと貼ってあるところなんだろうが、iPadもそうだったけど、製品の本質を直球ど真ん中で投げ込んでくる潔さが気持ちいい。
製品にあれこれデコレートしないと不安なんだとしたら、その製品には本質という考え方が欠落しているんだと思う。たぶん、スティーヴ・ジョブズはその辺を心得ていて、直球ど真ん中な製品を繰り出してくる。だから僕たちはメロメロにされてしまうのだ。
Amazonという元々は本屋の企業も、読書という消費体験をコアにして、そこに如何にして心地よさを作り出すか、を徹底的に追究しているんだと思う。
だから、箱を開けたら電源をつないでスイッチを入れるだけしか要求しない。最初から画面には使い方ガイドが表示されているし(eインクだから表示に電力は使わない)、機体にアカウントが既に登録されているし、Kindle自身がネットにつないで iPad版 Kindleで購入済みのコンテンツをダウンロードしてくれる。
まるで、うちに帰ってきたら可愛い女の子がエプロンつけて玄関でニッコリ出迎えてくれて、夕飯も風呂も準備ができていて、ささっ先ずは一杯どうぞ、なんて雰囲気なのだ。これは僕が男だからこう思うのであって、女性だったら、うちに帰ってきたら素敵な男性が…、と等価である。
じゃなくて、つまりはこれは、「おもてなし」というやつなんじゃないか、ということ。
米国製(実際の製造は東南アジアかもしれないけど)の商品やサービスがこんな居心地の良さを備えているのを見ると、おいおい、日本は大丈夫なのか? もう日本製なんて放っておいてどんどん輸入しちゃうぞ、円高だし、なんて思ってしまうのだ。
ああ、そうか。「カワイイ( kawaii )」というのは感情的・感覚的に直球ど真ん中だから、海の向こうでもウケるのかもしれんね。カワイイもんはカワイイのだ。あれこれ大義名分とか存在理由とか由来とか来歴とかスペックがどうこうとか、これまで一所懸命がんばったんだよぉ~でもダメだったんだよぉ~、なんて周辺的価値なんか飛び越えた「カワイイ」という唯一点ピンポイント攻撃だからかもしれない。
何が本質なのか、ということ。切り口と、狙いどころと、そこをしつこく攻める姿勢が大切なんじゃないか、と。行政や国政だっておんなじだよねぇ。