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2011.01.23

飲むのが二の次になるコーヒーの飲み方

他人がコーヒーを淹れてくれる、というのが贅沢なんだろうな、と思った。

朝のコーヒーを淹れるのは、結構時間がかかる作業だったりする。朝の様々な雑用のたぐいは、ひとつのことでもうっかりすると十分とか十五分とか過ぎていてびっくりするわけだが、ここで慌てて拙速に淹れたりすると出来たコーヒーが薄かったりして不満たらたらで、結局は淹れ直さなきゃならなくなったりする。だから時間がかかってもいいから、ゆっくり淹れる。

電気式のコーヒードリッパーなんてのを使えばいいのかもしれないけど、家人が「ジャマ!」と嫌がるので仕方なく自分の手で湯を注いで淹れている。

で、今朝、思った。

カフェとか珈琲店で、自分は店のテーブルに向かい椅子に座ったまま、自分の飲むコーヒーを誰か( 店の人なんだけど )が淹れてくれて、目の前まで持ってきてくれる——というのは実は大いなる贅沢として楽しまなきゃいけないのかな、楽しむべきものなんだろうな、と。

頭の中で、いまドリッパーにフィルタがセットされた、湯が沸いた、少しそそいで蒸らしてる、粉がふくふく泡を吐いて膨れてきた……なんてことを想像しながら待っている、でも自分は何もしないで椅子に座って脚を組んでぼんやりしている、なんて状況自体が、コーヒーを飲む行為以上に十分に楽しめるんじゃないか、と。

そうなってくるとコーヒーを飲むというのは二の次になってしまって、カウンターから漂ってくるコーヒーの香りとか、店の深い色合いの調度品だとか、さりげなく部屋の隅に置かれた雑貨だとか、壁にかかっているリトグラフだとか、そもそも外から穏やかな光を呼び込んでくる窓だとか、そんなこんなをじっくりと吟味すること、そしてそんな吟味をしている時間のあり方が第一義になってくるのかな、と。

じゃぁ、自宅で機械じゃなく、自分の手でコーヒーを淹れるということに、どんな意味があるんだろうか、と翻って考えたくなるわけだ。結局のところ結論は出ないんだけど、そうやって考えている時間を楽しめ、ってことなのかな。


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