やっぱりでかい本棚が欲しい。
いまさらだけど、昨日到着した『グローバルリーダーの条件』( 大前研一、船川淳志共著、PHP研究所、2009年 )を読了。対談で軽い内容だった。これまで読んできた大前研一の復習のような感じで、まぁ心情的には刺激されてイイんだけど、本当に役立つ本かというと疑問符。大前とかドラッカーとか普通に読んでいる人には不要だな。時間の無駄かもしれない。だから一刷なのかな。
それに、大前、船川両氏の一種“馴れ合い”的雰囲気にも違和感を感じた。編集のせいだろうか。ちょっと甘すぎない? もうちょっと苦くてもイイんだけど。
むしろ対談とかじゃなくて、インドの誰々はこうだった、とか具体的な事例を列挙したケーススタディ本とかの方が面白いんじゃないかな。これまでの大前本から、そんなもの達を抜き出して一冊の本として再構成するといいかもしれない。
ちなみに自分の中では、大前研一氏は既にドラッカー化している。
もひとつついでに、手元に長らく転がっていた藤澤克己著『いのちの問答』( 幻冬舎、2011年 )は、買っては見たけれど、いまは読む時期じゃないなぁ、と。四半世紀前の“悩める大学生”だった頃ならいざ知らず、今ではこういうのを既に卒業していて、あとは年老いて何もできなくなったときに読むものかな、と。冬の陽だまりや夏の木陰のような本だ。
歩けるときには歩けばいい。
それにしても、電子本よりはヤッパリ紙の本の方が好きだなぁ、と思うのだ。紙の本を手にとってソファにくつろいで、ぼんやりと読んでいくというのがいい。iPad も Kindle も素晴らしいけれども、紙の本が与えてくれる手触りとか音とか匂いとか、そんなものたちが素敵なんだと思う。読書体験って、実は五感を無視できない? これからさき紙の本は香りで勝負するようになるかな。茶色く変色している、触るともろくも壊れてしまいそうな古本の甘い香りが好きだ。
だから、私にとっては電子本はあくまでも次善の策。できれば広大な書棚空間を手に入れて、自分の本はすべてそこに収納する、という生活を送りたいもんだ。図書館に棲みつくという渡部昇一的生活が理想。まぁ、高校時代に渡部昇一読んで、おかげで「社会人」失格的人生になっちゃったんだけど……それは余談。
いまの私は貧乏なので、プライオリティが低いと判断した本は自炊している。2千冊を仕分けて6割は自炊、が現在の目標だけど、なかなか進まない。今回の震災で崩れた本の山もそのままだし……。さきの『グローバルリーダーの条件』と『いのちの問答』は自炊する。残念ながら空間占有してまで保存する本ではない、いまのところは。
内容が悪いということじゃなくて、いまの私にはあまり必要ない、ということ。“すべての存在は自らの存在を不要にすべく他者に向けて機能する”という視点で見れば既に彼らは目的を達している。