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2011.03.10

街の本屋がヘタレだ。生き残るのは至難のわざ?

先日、私の勤務する会社が入っているビルの書店が店を畳んだ

東京・千代田区にあるビルの中の一角にある小さな書店だったが、ビジネス書を中心とした品揃えで、昼休みや仕事の合間には結構役立つ存在だったと思う。昼休み時間には店内がかなり混んでいるように見えた。私自身はここ数年、Amazonで買うようになっていたけど、ちょっとショック。この跡地はどうなるのか知らない。ある日、入口のガラス戸に閉店を知らせる貼り紙が一枚、電気を消されて暗い店内には書棚と本がそのまま残されていた。

ここはバリバリの“都心”の一等地で、同じビルにある飲食店街に周囲のオフィス街からオフィスワーカーが昼飯を食いに大勢やってくる、というような場所なのに。実は、ビジネス書とか売れてないのかな。私と同じように、みんな Amazonに注文するのかな。

いっぽうで近所の商店街にあった書店は数年前にさっさと店じまいしてしまったけど、個人的に問題外だった。欲しい本や雑誌を置いていない。マンガの単行本は結構そろっていたけど。

じゃぁ、かろうじて商圏に引っかかる池袋のリブロやジュンク堂はどうかというと、基本的に出向くのが面倒くさい。通勤経路上だけど、地下鉄降りてわざわざ寄るなんてゆとりはない。そもそも、あの池袋駅の混雑の中を歩くのが嫌だ。加えて、店としては努力しているんだろうけど、いわゆる「書店員のセレクト」なんてのが煩わしい。人の読書の趣味とか、私には関係ない。ポップなんかじゃなくて、品揃えと排架の妙で勝負してもらいたいな、私としては。

どんな本があるか、どんな内容なのか、この本を読んでいる人はどんな本を読んでいるのか、という情報はネットで手に入ってしまう。

ところで、出版社のウェブサイトは情報の更新が遅いことが多いね。雑誌とか発売日に内容をチェックして買うか買わないかを決めたいんだけど、昼休みにウェブサイトに行ってみると前号の表紙が“最新号”なんて銘打って掲げられていたりしてガッカリする。

だから、雑誌の最新号をチェックするのに Amazonを使っている。表紙の写真が出ていて、それを見れば内容のおおよその見当がつく。それに異なる出版社のものでも、Amazonで網羅的に見ることができてしまう。だから、Amazonで雑誌を買ってしまう。当日か翌日には自宅や職場に配達してくれるし。

たとえば雑誌『クウネル』の表紙画像とかはこんな感じで、拡大すれば表紙の文字が読める。

拡大できるクウネルの表紙画像@Aamzon

だからといって出版社のみなさん、「表紙写真で内容がわからないようにしよう」なんて考えないほうがいいですよ。わからなくなったら買わなくなるだけだから。

そもそも自分に時間がない。仕事して、子供の相手して、家事をやって、ビデオやテレビを見る時間もないのに、書店で本を探すとか眺めるなんてのは論外。自宅の最寄り駅に大型書店があればいいかもしれないけど、実際は無い。

( ところで地下鉄の一見ムダな空間を書店にする、ってのはどうですか? 地下鉄を在庫の流通ルートにしてやればよさそうに思われる。道路占用許可とか何とか云っているうちに、日本の知的レベルとか生活レベルがどんどん落ちるだけですよ > 行政の人々)

大学生時代、住んでいた茨城にはでかい駐車場つきの書店があった。大学町で周囲には国や民間の研究所がたくさんあって、学生、教員、研究者といったぐあいに客層がそろっているので、本の品ぞろえにハズレが少なかった。学生だったから時間もあったので、本屋に入り浸ってたなぁ。本屋さんていいなぁ、と子どもの頃から思っていたから、あんな書店が身近にあるのがうれしかった( 友朋堂がお気に入りだった )。

いっぽうで、いま住んでいる地元には大学が三つもあるのに、どうして本屋過疎地なんだ? というのは置いておこう。学生が本を読まなくなった、なんてのも放っておこう。地元書店が生き残るには、地域性を根拠とした品揃えで勝負するのだろうが、当地のように古くからある住宅街の中に学生街が混じりこんでいる立地条件は難しいかもしれないし、だから適当な書店がない学生さんは池袋に出て本を買っているんだろうし( 学生生協もあるか )。

まぁ、いずれにせよ何らかの特徴がないとやっていけないは確かなことで、じゃぁ、最後の手段=「安売り」はどうなんだろ。再販価格の維持とかいうアホらしい古臭いルールがあるから、結局のところ古本屋( 古書店 )てことになるんだろうけど。

けど、本の電子化( 自炊も含めた )が進めば、古書の大前提となる紙の本自体が市中からなくなる。出版社が電子書籍を進める速度+個人が自炊する速度を足し合わせると、さっさと古書が減って古紙が増えることだろう。いずれにせよ、“電子書籍は敵”か。

だとすると、電子化されないような本の企画が必要になるんだろう。もうこうなると、書店だけの努力じゃなくて、出版界、印刷製本屋、それに読書人が束になってかからないと書店は絶滅決定種になるんだろうな( もうなってる?)。しかし、ネットの普及が物事のニッチ化を促進して、希少本の売り買いがネットオークションに移行していくのだとしたら、古書店も絶滅決定種じゃん。生き残るのは無店舗ネット古書店か?

物理的な“地元”という商圏に拘束される書店に、希少本というニッチ商品は利益をもたらさない。コストばかりかかる。

◇ ◇

でも、こんなこと考えてみても、希少本というニッチが残されている書店業界は、まだ幸いなのかもしれない。古新聞なんて誰も買ってくれないからね。

いまのようなスタイルの新聞は鮮度が命。本よりも状況は深刻なんだと思う。たぶん今後十年間くらいで、思い切りの良さと動きの素早さが勝負を決めるだろう。2011年春という現在はまだまだ見合っている状態だけど、変わるときは早いだろうな。

そのとき、過去のデータをどれくらい大量にネットで再利用できるように用意していたか、それを元手に新しい何かを生み出せる体制が整っているか、が分かれ目になるような気がする。


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