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2011.09.08

オッサンに語る言葉を持てるだろうか。いや、持つべきだろうか。

世界はひとつに見えるかもしれないけど、実は複数の異なった世界が錯綜している、という話。

心臓が悪いのでふた月に一度くらいずつ専門病院に通っている。きょうは診察日。仕事を早引けして病院に行った帰り道、午後5時前の近所の西友に行った。

ビール風のお酒3本とナッツ類をカゴに入れてレジに並んだら( 心臓悪いけどお酒は大丈夫なんです )、いかにも“独り暮らしの高齢男性”といった風情の客が、僕の前に並んでいる。見回すと、周りに結構そんなオッサンがいて、みんな一様にビール一缶と肉系の総菜を一品、カゴに入れたり、直接手に持ったりして並んでいる。

ふだん買物をしている休日の日中にくらべると、なんだかひどく違和感を感じる光景。オッサン、場合によってはジイサンと呼べる男どもがたくさん並んでるんだよ? ( ここで2005年国勢調査の数字を出して、一人暮らし高齢者男性が全国に百万人いるとか何とか具体的なコト云っても無意味。このエントリは僕の主観なんだから )

ああ、こんなオッサン達を幸せに出来るネットサービスなんて出来るんだろうか、なんて順番を待ちながら考えていた。偉そうにネットとかウェブとかスマフォとかいいながら仕事したところでタカがしれてるなあ、と思った。

ここに並んでいるオッサン達は、いかにもネットに親和性が無さそうで、ケータイ持ってるとしても音声通話ばっかりでメールとか打ちそうにないし、ましてやブラウザ使って……なんてムリだろうなぁ、なんて勝手なことを考えていた( あくまでも主観です )。僕の後ろに並んでいた女子大生風が、ずっとケータイ見ながらいじっていたのとは対照的。むっつりと黙り込んで前を見て並んでいる男たち( ま、それが男の風景としては普通だよね )。

でも、オッサン達も、自身の知らない別の世界から幸せを得たいとも思ってはいないだろうな、とも思ったのだ。こんな人たちとは、もう全然別の世界で仕事をしている僕なわけで、でもそれって、それだけで済ませてもいいんだろうか、という疑問は残るんだけどね。

たとえば、震災後の仮設住宅に暮らす人達についてニュースで語られていた。で、微力ながらネットの力で何とかならないだろうか、なんて思ったりするけど、それだって、僕らに出来ることなんて仮設住宅住まいの人たちにとっては本質的ではない、つまりは周縁部分ばかりじゃなかろうか( 周縁であっても、無いよりマシかもしれないけど )。

そこで自分の視野の狭さに気づいた。

僕らがあれこれ出来るのは、所詮は、電力網、通信網、端末、OSなどソフトなんかのインフラやプラットフォームがあるからこそなのであって、それから離れたらほとんど無力。自分の手で畑を耕したり、荷物を抱えて配達して回ることにくらべると、なんてバカバカしくも複雑で勿体ぶった仕事なんだろう。

幾重にも積み重ねられ、組み上げられ、織り上げられたたくさんの前提条件が、一定の順番で成立しなければ何も出来ない、なんて、実のところ、本質的な営みからは遠く離れているのではないか、と思われてしまうわけだ。

ま、でも自分に出来ることを少しずつやるしかないし、いっぽう、オッサン達は埒外でいいとか、被災者は自分で何とかしろとか、そんなことを云いたいのではない。あれこれ作ったり試したりするときに、その向こう側に何かを見ながら手を動かさなきゃならないんだろうなぁ、と取り敢えずの結論が出たところで、レジの順番が回ってきた。

で、そこで、紙幣や硬貨じゃなくて、カードで支払っちゃうところがまた虚無的で自分の虚業性を感じちゃうところなんだけど( だって、小銭、ウザイんだもん )。オッサン達はしっかりと、使い古した財布やガマ口から、硬貨を丁寧に数えて払っていました。


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