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2012.11.20

Windows8のUIを 従来のPCの延長で語らない。

Windows 8 の Modern UI ( 開発コード Metro )は、アイコンやデスクトップといったメタファーで語ることができないのだと思う。そこを、従来の使用感で云々しようとするのは、そもそも前提が間違っているんだと思う。「スタートメニューがない」とか「Windowsなのに複数のウィンドウを使えない」とか、そんな揚げ足取りみたいなこと云ってる場合じゃないと思う。

Modern UI は、座って操作する UIではないし、机の上に置いたり、持ち歩いたりするものでもないと思う。これまでの“パソコン”や“モバイル端末”が、机や文房具を概念的な素材として作られていたのに対して、Modern UI は建物や道路として作られているんじゃないだろうか。

いまのところ、ノートパソコンとかタブレットといったお馴染みの機器類で動かすしかなくて、そうやって、これまでのコンピュータ操作の世界にじわじわと浸透するしかないのだと思う。しかし、将来は壁や天井、床といった建物全体が UI の現場になるのだろう。車や街灯といった私たちの生活の構成要素全体がネットワークの構成要素として機能するようになるだろう。

すると、スマホとかタブレットの意味が変わってくる。もしかしたらスマートフォンは指輪とかピアスくらいのサイズまで小さく、機能が簡略化されるかもしれない。壁の前に立っている個人の特定とプライバシーの確保がモバイル端末の主機能として残され、それ以外のコンピューティング機能は建物の壁で全てまかなわれるかもしれない。

もちろん、壁はオンラインでクラウド( cloud )に接続している。

その世界では、人間の身振り手振りが入力となり、コンピュータへの細かい指示は音声I/Oが標準になっているだろう。タブレットのような端末は、壁のない場所でのネットへの中継局のような役割になると思う。誰もタブレットなんて持ち歩かないだろうな。

不思議なのは、そのようなビジョンをマイクロソフトが明確に表明していないということ。つまりは、私の単なる勘違い妄想なんだろう。あ~あ。


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