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2013年7月

2013.07.31

だんごむしは さわられると まるくなります。

来年に小学校入学の息子が、自学自習が目的のプリント学習指導の教室に通い始めて3か月が経つ。週に2回、保育園の帰りに母親に付き添われて通い、宿題のプリントを持ち帰ってきている。

毎日、朝と夜の2回、宿題のプリントをこなすよう習慣づけを始めたけれども、なかなか難しい。「これは、親のライフスタイルを問われてるよね」と家人と意見が一致している。

朝、朝食の皿を洗っていると、食卓テーブルから息子の読み上げる声が聞こえてくる。

息子「だんごむしは さわられると まるくなります」
母親「ちがう。よく見て読んで」
息子「?」

こういうことらしい。

(問題文)
だんごむしは さわると まるくなります。
 ↓
(息子の読み)
だんごむしは さわられると まるくなります。

日常によく見られる、というか、耳にする言い回しである。「猫は撫でると目を細める」とか「風船を針でつつくと割れる」とか。

そこでふと思った。息子が読み上げた「誤答」が日本語としては適切なのではないか。「だんごむし」が「さわる」のではなく、(ひとが)「だんごむし」に「さわると」「だんごむし」は「まるくなります」なのであって、つまりは問題文はこうなり得る。

→ だんごむしは ( ひとが )さわると まるくなります。

ここには「だんごむし」だけではなくて、行為者として( そして恐らくは観察者として )の“ひと”の2者が存在している。

いっぽう、問題文における一人称としての「だんごむし」を読み取った息子は、「だんごむし」視線で「さわ“られ”る」と受身で読み取った。ここには「だんごむし」にとっての世界観が現れているとはいえまいか。

「だんごむし」にとっての“ひと”とは、遥か空の高みから降りてくる未知の存在、超越的な何ものかであって、「だんごむし」にとっての理解の範囲を超えているのだ。だから、そこには「だんごむし」対“ひと”という2者による構図はなく、あくまでも「だんごむし」の主観だけしか存在していない!

ということで、「さわると」を「さわられると」と読んだ息子は、無意識にそんな世界構造を、彼自身の頭の中に瞬間的に構築したのかなぁ、と思いながら私は朝食の皿を洗い上げたのだった。

たぶん、こんなところまで考えて問題文を作ったりはしないよネ。

それに、回答する子どものほうも、いちいちそんなこと頓着せずに、普通に、日常的に一般的に回答すればいい。そうすれば取り敢えず無難だし、目上の指示に従うにはそれで十分なんだから。そうすれば世界は取り敢えず丸く収まるし波風立たないから。

2013.07.30

お菓子の個包装には製造元とか諸元表示が欲しいな。

新潟こしひかりクッキー

職場で「新潟いってきました」という人から「新潟こしひかりクッキー」というお菓子をいただきました。職場でお土産をもらうといつも製造元とか原材料を調べてしまうわけですが、個包装に諸元の記載が見当たりません。

裏

ちょっと隠れているところをめくってみても……

裏

そこで早速ネットで検索してみたのですが、製造元が出てこない。そればかりか、検索結果の上位に個人ブログが並ぶというのは変だろ~。SEOやってませんね? もしかしてウェブサイト自体が存在しないのでしょうか。結局、最初の1スクロール目( ファースト・ビュー first view )に出てこないので面倒くさくて探すの止めました( ネットユーザの6割の反応だと思う )。

“お土産”は旅行や出張から戻って職場やご近所でばら撒かれる場面が多いと思います。そのとき、個包装のお菓子たちが広い範囲に散らばるわけです。ということは、そのひとつひとつのお菓子たちが、それぞれ広告媒体として機能するはずです。

この広告媒体を活用しなくて、一体どうするんだろう――と他人事ながら心配になります。やる気ありませんね?

検索してみると、この通り。
「新潟こしひかりクッキー」でググってみると…


2013.07.29

地方自治体公式ホームページには、ぜひ都道府県名も入れてほしい。

「正しくは宍粟市です!」 誤表記送り主に「しーたん」の手紙

産経新聞 7月29日(月)8時0分配信

 「穴栗(あなぐり)」「穴粟(あなあわ)」などと誤記された郵便・宅配物が後を絶たない兵庫県宍粟(しそう)市が、表記を間違えた送り主に正しい読み方を書いた手紙を送る取り組みを始めた。手紙は市のマスコットキャラクター「しーたん」からとして、自然豊かな地元の魅力なども伝えて「しそう」をPRする。

 市は平成24年度から、難読を逆手に取ったCMコンテストを開催。読みにくさを生かして地元をPRするイベントに着手してきたが、いまだに市名を「穴栗」「穴粟」などと誤記した郵便・宅配物が届くという。

 事業名は「しーたんからのお便り大作戦」。送る手紙は裏表1枚で、表面は「読めますか? おぼえてください!」との見出しで始まり、地元の魅力を訴えて来訪を呼びかける内容。裏面には送り主の誤記部分を載せ、「正しくは宍粟市です!」と重ねて正しい表記をPRする。

 対象は官公庁や民間企業で、個人は対象外。手紙は来年2月まで送る予定。誤記された郵便・宅配物は今月1~24日で計18通届き、市が送り主にしーたんからの手紙を発送したところ、「これを機に宍粟の魅力を周りに伝えます」などの返信もあったという。

http://headlines.yahoo.co.jp/hl?a=20130729-00000503-san-soci より

ということで大変良い試みだと思うわけですが、残念なことに、公式ウェブサイトに県名がありません。最近でこそ、このような「地方自治体の市区町村サイトにおける都道府県名の欠落」は減ってきているようですが、まだまだここまで手が回らないという自治体さんも結構いらっしゃるようです。

宍粟市トップページ下部

他県の人間、それも「何か面白いことないかなぁ~」と思っている首都圏の人間に、あなたの住むふるさとを訴求するなら、自治体名の前に都道府県名を表記するのは簡単にして効果的な一手だと思います。なぜなら、その人たちはあなたの住んでいる場所が何県にあるのか知らないため、おおよその交通アクセスを想像することすらできないからです。その人たちに都道府県を知ってもらうだけでも、東西南北どちらの方角なのかくらいは想像してもらえるでしょ?

インターネットでたまたま見つけた面白そうなお祭りや催し物が「○○○町」にあると分かって、「○○○町」の公式ウェブページを見つけることができたとしても、それが何県にあるのかがすぐに分かるか、それとも分からないかという違いは、案外大きいものです。( さらに欲張りしてみれば、都道府県名つき住所の近くに交通アクセスや観光協会のリンクがあるといいかも )

この産経新聞の記事にある「宍粟市」のウェブページのURLは http://www.city.shiso.lg.jp/ という具合に県名がありません( このタイプも最近増えていますね。以前なら www.shiso.hyogo.jp のように県名が入っていたりしました )。それに、トップページを文字列検索しても、どこにも「兵庫」という文字が見つけられませんでした。

地元PRの一環として、まずはこの辺に手を加えてみてはいかがでしょうか。自治体の内側だけ向いていればいいというのであれば都道府県名は不要でしょうが、ほら、ドラッカーも言っているじゃありませんか、「すべての成果は外の世界にある」、て。

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2013.07.27

ナビゲーションを改善しても、リンク先がちゃんと考えられていないと意味がない。

<スライド> ナビゲーションを改善しても、リンク先がちゃんと考えられていないと意味がない の実例。
http://www.tafworks.com/slides_tank/20130727Sa_135924/

普段から時間がなくてテレビを見られないけど、NHKに受信料はちゃんと支払っています。BSも込みで、今回も2万何がしか一年分を支払いました。テレビの視聴ができないのに毎年2万円も支払っているのは莫迦らしいけど、緊急時、災害時といった“有事”のときの保険だと思っています。

普段のニュースは夜にまとめて読む新聞と、日中はガラケー、PC、タブレット、スマホといったインターネット環境でのNHKニュースサイトの閲覧を基本点としています。ここを中心に、ヤフーニュースやBBCを眺めている。NHKが私にとっては“基本のニュース”なわけです。

それでよくNHKニュースのサイト( http://www3.nhk.or.jp/news/ )を見るので、画面の変更や誤字脱字が気になるわけです。今回は、NHKニュースのトップページにナビゲーションボタンが新しくついたけど、あまりイケてないネ、というお話。( まぁ、URLからしてイケてないわけで、その辺のDNS回りはBBCが参考になりますが、それはまた別の話 )

長谷川恭久氏の「利用者の期待とUIデザインについて」で述べられている“利用者の期待に応える”のに成功していないということです。

たぶん利用者(≒視聴者)からの要望で新たに設置されたページ内ジャンプのためのリンクだと思われますが、これをクリックした先のコンテンツが期待はずれで、「そもそも要らねーんじゃね?」状態になっています。なんか画面が淋しいからとか、ボリューム感をつけたいからとかいう理由で載せたのか( とイジワルに勘ぐりたくなりますが )、番組案内の文言を見てクリックして行った先で途方に暮れてしまうと、「あー、こんな『ニュース番組の見どころ』なんて要素は要らないじゃん」と思ってしまうわけです。

詳しくはスライドをどうぞ。

( スライドは OpenOffice Impress を使って作り、HTMLにエクスポートしてみました )

【追記】(2013/07/28)
「各地のニュース」に直接ジャンプできるのは便利ですね。これは効果的だと思います。



2013.07.24

Google日本語入力で baka と入力すると…

20130723tu_194338

変換候補に「ヴァカ」が出る。何か、品がないなぁ……。消せないのかなぁ。

決して私自身の品性が優れているとかは思わないけど、できるだけ下品にならないようにしたいとは思っているし、できれば品性を整えるとか教養を身につけるとかしたいとは思っている。難しいけど。

パソコンだけじゃなくてスマホ( これも語感の悪い略語だ )やタブレット、携帯電話などに入っている日本語変換機能( IME )に入力しながらよく思うことは、この変換機能には作った人の頭の傾向が反映されているなぁ、ということ。特に興味や関心分野の範囲が如実に現れてくるなぁ、と思う。作った人が普段どっちの方向を見て暮らしているのかが感じられる気がする。

今後、変換品質に磨きをかけたいのだとしたら、設計者(≒開発者)の生活スタイルや思想、趣味、教養なんてものが重要になってくるのだろう。人事担当諸兄の課題だね。

まあ、その前に日本語が崩壊して、いわゆる“美しい日本語”のようなものが無意味化したらどうしょうもないんだけど。


2013.07.23

<メモ>IE6、7、8向けHTML中の改行コードを BRタグに置換する方法。

いまだに InternetExplorer( IE )のバージョン8以前に対応しなきゃいけないコト自体が間違っているんだと思うけど、現実に要望があるので捨て置くわけにはいかない。

現場から、「HTML中のテキストが平文で CMS から出力されるので、文中の改行に brタグを付けてブラウザで見た時にきちんと改行されているようにしたい」というのがやってきた。

CMS で br つければいいじゃん? と思うわけだが、平文テキストは HTMLタグを知らないいわゆる“一般ユーザ”がやるので行末に br をつけるという運用はあり得ないとのこと。いっぽう CMS の仕様は「データの入力は HTMLで」とウェブの知識が前提となっているらしい。システムと運用で齟齬が起きているわけだ。その段差を JavaScript のチカラで何とか……、ということらしい。

すぐに思いつくのは、JavaScriptの replace() を使えばいいじゃん? ということになるが、ここに厄介な条件がつく。

「IE7でも見えるようにしてください」

もう脊髄反射的に「IE7 乗り入れ禁止ぃっっ!」と叫びたくなるわけだが、いくら叫んだり祈ったりしたところで何も変わらない。なので、戦うことにした。

ポイントだけ書いてしまうと、
・古い IEは HTML中の改行コードを無視するらしい。
・しかし textarea内の値では改行は生きている( そりゃそーだ )。

なので、対策として次のようにした。取り敢えずこれで解決。


  1. 不可視な textarea を用意する。

  2. CMS は平文テキストを textarea に流しこむ。

  3. 流し込まれたテキストを JavaScript で replace( /¥n/g, '<br>' ) する。

  4. その結果を、本来のテキスト位置に innerHTML でセットしてやる。

万が一 JavaScript がうまく動かない環境だったら「本来のテキスト位置」が空白になりお客さん(ユーザ)がビックリするので、CMS では textarea と同時に「本来のテキスト位置」にも平文テキストを流しこんでおけばいいだろう。改行されていない状態だけど、それらしい何かが見えている線は確保できる。

preタグや readonly な textarea でいいかな、とも思ったんだけど、現場によるとそれらの方法では表示レイアウトがダメということだった。なので、現時点での最善の対策は以上のようなものになった。

もしかしたらもっと良い手が見つかるかもしれないけど、その前に IE8以前は撲滅しようネ。


2013.07.05

景気がいいぞ、旅に出よう! てホントかよ。

夏休みの旅行者数、過去最高に…JTB見通し

 JTBは3日、夏休み(7月15日~8月31日)の旅行者動向を発表した。

 1泊以上の旅行に出かける人は前年同期比1・9%増の7884万人で、比較可能な2000年以降の最高を2年連続で更新する見通しだ。同社は「景況感の改善を背景に、消費者の旅行へ向かう意欲が高まっている」と分析している。

 国内旅行は2・2%増の7624万人で、これまでの最高となる。東京スカイツリーなど人気スポットを抱える首都圏が堅調で、世界遺産登録の効果で富士山周辺の観光客増加も期待される。

 海外旅行は、円安などの影響で5・8%減の260万人。中国や韓国が低調な反面、タイやマレーシアなど東南アジア、欧州が人気を集めている。

(2013年7月3日21時07分 読売新聞)

国内旅行が約97%となり。いっぽう海外旅行の人数はハナクソ……失礼、誤差のようなもの。お盆の時期だから“里帰り”で人数が膨れ上がるのは当然だとして、この数字で果たして「景気感の改善」と分析していいものかどうか。大概、景気が良いとか家計にゆとりがあるときには海外旅行なんじゃないかな。

JTBのリリースを見ると、旅行費用が高くなっているとある。数字を見ると国内旅行で1280円増、海外旅行で11800円増。国内旅行の数字には交通費や宿泊費、食事代などが含まれるそうで、これは円安で高くなった燃料費が影響してくる部分でもある。だから、旅行費用が高くなっているから景気が良くなっているとは言えない。海外旅行の数字にはジェット燃料代が含まれる。エジプトのクーデターとか中東の不安定さなんかで簡単に原油価格は上がっちゃう。

それから、このリリースにも載っているけど、JTB総研の「生活者の今の気持ち」調査によれば、増税や物価の上昇が生活 を圧迫しそうだ」と共に「やりたいことを後回しにせず、今できることを大切にしたい」という意識が高く 表れたんだそうだ。意地悪な言い方をすれば、この先どうなるかわからなくて不安だから今のうちに楽しんでおこうよ、てことかな。消費税上る前に、ね。

それと、ピピッときたのは昨日(2013年7月4日)の毎日新聞夕刊にあった石田衣良氏のコラムの一節。引用すると、

 経済が伸び悩み、国際社会での影響力が低下すると、その国は独善的になり、内に閉じ、伝統に回帰しがちだというのは、国際関係論のセオリーという。右傾化も国力衰退症候群のありふれた症状のひとつと冷静に指摘しておけば十分なのかもしれない。

世界遺産となった富士山は“日本の象徴”だし、東京スカイツリーなんてのも国が大きな旗振って進めた大プロジェクトだったしなぁ、と思った。煙と何とかは高いところに登りたがる、とかいうことか? 最近きな臭いのはその辺にあるのかな。煙でてんのかなぁ、煙が何かの狼煙[のろし]にならなきゃいいけどなぁ。

今年「遷宮」の年を迎えた伊勢神宮、出雲大社が人気、というのも、つまりは「伝統に回帰」てやつ? たまたまなんだろうけど。

そもそも、このリリースには年齢性別などデモグラフィックな情報が載っていないのが決定的に欠陥なんだよなぁ、というか、このリリース自体がある種の雰囲気を醸成するための情報源として機能するように期待されているんじゃないの? と勘ぐりたくなるわけだ。

こんな一見政治とは関係ない情報を取り上げて、原典にあたってあれこれ考えてみるというのは、参院選で誰に、どの党に投票すべきかを考えるための良い練習問題かもね。

【参考】
2013年 夏休み(7月15日~8月31日)の旅行動向(PDF:444KB)
http://www.jtbcorp.jp/scripts_hd/image_view.asp?menu=news&id=00001&news_no=1719


2013.07.04

『草原の椅子』から抜粋

( 宮本輝著、幻冬舎文庫 )

読んだのは、もう何か月も前になるけど、その時にピンときた箇所から幾つかをメモとして。

●上巻
p.62

「人情のかけらもないものは、どんなに理屈が通ってても正義やおまへん」

 ともすれば理屈であれこれ言いたくなるけど、それは人生経験とか知恵とかがないから理屈に頼りたくなるんだなぁ、と気づいたのは40歳過ぎてからでした。ナイーブなほど、人情から距離を置こうとするんだなぁ。それは、若者にとってみれば「自由」で、「年寄りはシガラミに絡め取られている」と云いたくなるだろうけど。


p.142

「……反復すること。いやになるくらい反復すること。これは、あらゆる科目の勉強における鉄則だ。そうしてるうちに、それが自然に応用できるようになるんだよ」

 これは勉強だけではなくて、生活のあらゆることに云えますね。うちの6歳の息子に「おうちに帰ってきたら手洗いとウガイ」と繰り返し言い続けたところ、いつの間にか玄関から直行して自分からやるようになりました。親が子どもにできることは、とにかく良い習慣をたくさん身につけられるようお膳立てすること。馬を水辺に連れて行くこと。倦まず弛まず、水辺まで連れて行くこと。


p.316

「安心してなさい、か。いい言葉だなァ。安心してられるってことが、人間にはとても大事なんだよ」

 特に、子どもにとって「安心してなさい」は重要だと思います。なので、海外のニュースサイトで知る中東の喧騒を見るたび、ああ、自分はここの子たちに何ができるんだろう、と切なくなります。


●下巻
p.29

 我々、日本人は、いつのまにか、畏敬の念というものを失ってしまったような気がする。あらゆるものに対して、畏敬の念を忘れた。この自分もそうかもしれない。死の砂漠に立って、果てしない風紋を見れば、あらゆるものに対しての畏敬の念が甦るだろう。

 あらゆる事物に神様を見い出せていた私達は、ある意味幸運だったのでしょう。西垣通氏曰く「モバイル宗教」のような、“聖典”という装置を持ち歩くことで神を普遍的にすることができるというのは、人間の勝手さ加減に神を適合させることができるという、云ってみれば人間の傲慢さの現われなのかもしれません。
 九十九神(つくもがみ、付喪神)のように、様々な事物にそれぞれの神様を見出すというようなことは、説明できないものを飲み込むという一種の不条理なわけですが、同時に人間に対して覚悟を迫るということなのでしょう。「ナイーブ」の対局にあるのだと思います。そこにあるから、ある。そうだから、そうなのだ。そのような事情を飲み込むということです。
 そこに、小利口に理屈を組み込もうとするから、ワケが分からなくなる。「なぜ生きているんだろう」という質問ほど不毛なものはない、と気づいたのは最近のことです。小利口な理屈は、状況に対する覚悟を鈍らせる原因となります。


p.68

「安心しろ。お父さんも、トーマも弥生ちゃんも富樫のおっちゃんも、みんな圭ちゃんを大好きで、圭ちゃんの味方だよ。安心してたらいいよ。何も怖いことなんかない。圭ちゃんは、これからもっともっと丈夫になって、よく食べて、よく寝て、友だちをたくさん作って、思っていることを何でも喋れるようになって、サッカーも上手になって、宝島に行くんだ。自分の宝島が何か、どこにあるのか、いつかわかるさ」


p.337

 俺のいるところは、いつでもどこでも草原であり、俺は絶えず何物かに守られている。だから安心していればいい……。


p.400

「正しいやり方を繰り返しなさい」

 「正しい」というのは、あくまでも主観的なものであって、人によって違ってきます。けれども、その「正しい」ことを選びとるのは自分自身で、そこに各人の覚悟が問われるわけです。正解だとか間違っているとか、そんなことは二の次で、極端な話、どうでもいいことなのです。自分にとっての「正しい」を繰り返すこと、そこに覚悟、最近の流行り言葉で云えば“コミットメント”が定められるということ、それが大切なわけです。
 それが、先々で気づくであろう過ちを正す軸足となるわけです。取り敢えず覚悟を決めないと、何が自分にとっての“相応しい”なのか、判断すらできません。


2013.07.03

実は14、5歳で止まっているという話。

いまの20代の大学生の皆さんには信じられないことだろうけど、私のような40代、50代のオジサンというのは、実は、感覚的な部分は思春期の14、5歳あたりで止まっているのだ。「きもちわりぃ」とか思うかもしれないけど、君たちもあと四半世紀したら気づくと思う。
知識とか要領の良さとかで何とか「オトナ」を気取っているけど、実のところ、内側の核になる部分は君たちと変わらないのだと思う。
たぶん、14、5歳という思春期のその時期に、好悪に関する感覚が固定化されるのかな、と思っている。
なのに、白髪が増え、額が後退し、何か額がテカテカしてきて(皮膚の水分が足りないのです)、目尻にシワが出て、老眼で苦労し……て、自分が抱き続けている感情的な感覚と、肉体的な事実との齟齬が徐々に自覚されるようになる。そこにオジサンは焦りを感じたり、不全感を感じたりしているのだと思う。あれ、変だぞ、オレって、こんなんだっけ? て。

女性はどうなの?

「駐車場に神話が根づく」

時々、未だ見ないこの先の世界に生まれているであろう伝説とか神話とか、そんなものに思いを馳せたりする。そして、その時に思い出すのは「駐車場に神話が根づく」という、ウィリアム・ギブスンの言葉。これは彼の『モナリザ・オーヴァドライヴ』で、アンジイづきの監督ディヴィッド・ポープが語っているのだが、ギブスンの短編「ガーンズバック連続体」にも繋がる“未だ訪れない未来における郷愁”もしくは“失われた過去における未来”というやつなのかな。失われたものの記憶と、失われるであろうものの記憶という点ではレイ・ブラッドベリにも通じる感覚かもしれないが、まあ、それはまた別の話。

以下、メモ的に引用。

There's a pathos to it, when you think about it. I mean, every bit of it's locked into orbit. All of it manmade, known, owned, mapped. Like watching myths take root in a parking lot. But I suppose people need that, don't they?

考えてみれば、哀愁(ペーソス)が漂ってるんだよ。つまりさ、どれもこれも、軌道に組み込まれているわけで。すべて人工で、既知で、所有され、調査ずみ。まるで駐車場に神話が根づくのを見ているようなものさ。でも、人間てのは、そういうことを必要とするんだろうな
(『モナリザ・オーヴァドライヴ』ウィリアム・ギブスン著、黒丸尚訳、早川書房 1986)


『ほしのうえでめぐる』(倉橋ユウス著、BLADE COMICS)

『ほしのうえでめぐる』(倉橋ユウス著、BLADE COMICS)

このところ気分的にガス欠気味でマンガを読む気が起きないのだが、取り敢えず風呂あがりに湯冷ましで積ん読の中から手にとって読んでみたら面白かった。第1巻読んで時間切れ。第2巻を楽しみにしている。

出版社のマッグガーデンは、天野こずえのARIAシリーズ以来ぼちぼち読んでいるかなぁ〜。天野こずえの『あまんちゅ!』をアニメ化するなら、テーマ曲は山下達郎の「踊ろよ、フィッシュ」(1987)がいいかなぁ、と思っている。

ところで、軌道エレベーターで年代記的といえば大石まさるの「水惑星年代記」シリーズ、そして忘れてならないのは、アーサー・C・クラークの『楽園の泉』。これらを外してはいけない。軌道エレベーターのアイデアを初めて知ったのは今から30年くらいまえの雑誌『メカニックマガジン』だったけど、未だに実現されていないことに驚きを感じるよ。

かつての「宇宙開発競争」の時代は、実は地べたを這いつくばっていた時代なんだね。地べたを這いつくばっているから、空ばかり見上げていたのだろう。可燃物燃やして空に上るのを卒業するのは、いつになるのだろうか。人類が星海に弾けるのはいつなんだろうか。

【追記】
読了。
ちなみに両手とも「ますかけ」です。


2013.07.02

視界を奪わず心を奪う「ラジオ」

ラジオのデジタル化の意義がいまひとつわからない。そんなに“高品位化”してどうするよ。仕様だけ先走ったスペック莫迦な日本の製造業的悪い面が出てるんじゃないかなぁ、と思った。

ラジオの特徴は、ユーザの視界を奪わないこと。だから、「ながら」に向いている。いまはどうだか知らないけど、かつての受験生の必需品は深夜ラジオだった。「ナッチャコパック」とかね。それに、ほら、タクシーはよくラジオつけてるじゃん? 文化放送とかニッポン放送とか。

ナッチャコパックが直接的に勉強の役に立っていたわけじゃないけど、自分は一人きりではない、世界とつながっているんだ、という感覚を自己醸成するには役立っていたのだと思う。( まあ、十分に眠るほうが役立つと思うけど )

それに、アナログ放送なら鉱石ラジオで受信して聴くことができる。シンプルな構造は省電力だし( 電池要らない )、単純構造で非常事態で威力を発揮する。小学生の頃の私も作ったことがあるくらい簡単だ。あり合わせの材料から鉱石ラジオを作る冒険物語の主人公がいた気がするけど、実際、マクガイバーなんか簡単に作っちゃいそうだよね。

そもそも、「つながっている感覚」を生み出すのに、視覚を使う必要はない。解像度の低い画像でも、コミュニケーションの場面では十分に役立っている。たとえば、トイカメラ風の画像処理をするアプリとか、敢えて低解像度化を愉しんでるでしょ?

むしろ、画像というのはコミュニケーションでは添え物的なのかもしれない。何と言っても、相手が何を云っているのか、云わんとしているのかということが最重要のはずだから。百聞は一見に如かずとは云うけれども、それは状況説明という事実についてのことであって、対する相手が何を考えているのかというのは、言葉に、つまりは音声に尽きるしか無いのだ( 但し、エスパーは除く )。

【参考】
GoogleグラスよりもAppleのiWatchじゃないか、という調査結果。
http://ascii.jp/elem/000/000/803/803176/

音声はテキストよりも肉薄的で、動画よりは他人的という程よい距離感を持っているように思う。見えないけれども聞こえる、という一種「カーテン越し」感覚というのかな。さらに考えを進めてみると、つながってる感覚には、おしゃべりは要らないことに気がつく。極端な話、何処かのカフェの店内の音を中継してくれてもいい。必要な時に、ニュース、天気予報、交通情報が聞こえてくればいい。

ということで、実際にそんなサービスがあったりする。

【参考】
本当にパソコンでの作業が捗った!環境音としてカフェの喧騒を流す「coffitivity」 http://www.danshihack.com/2013/03/22/junp/webservices_coffitivity.html

てことで、ラジオのデジタル化なんてことではなく、もっと本質的なことにお金つかいましょうよ。


ゾフィーが小さかった……。

息子6歳がウルトラマン・シリーズのファンで、ソフビ(人形)もそこそこ揃っているのだが、ウルトラ6兄弟のうちゾフィーだけがなかった。店頭からなくなるし、Amazonの通販でも数がなくて、あれれ? と思っていたら「ウルトラヒーロー500」というシリーズが出ることを知ったので、さっそく予約注文した。で、今日届いたのを見て驚いた。

小さい。

ゼロが「ま、気にすんなヨ、おじさん」と云っているように見える。息子はガッカリしたのか、放り出してそのまま見向きもしない。

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2013.07.01

友達どうしで固まると仕事がはかどらない、という話

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(【追記】があります)

類は友を呼ぶとは言うけれども、友達どおしで集まってしまうと使いにくくていけない。いや、プロジェクトの運営の話ではなくて、Windowsのウィンドウの話です。

WindowsXPを先日まで使っていました。開いたウィンドウはアプリの種類の違いにかかわらず、開いた順番に、タスクバーの上にボタンが左から右に向かって増えていました。

この前、使用機材が新しくなって気づいたのですが、Windows7は同一アプリのウィンドウを一箇所に集めて表示しようとするんですね。これ、複数ファイルを開いてコーディングするとき、ひどく不便なんです。どうにかならんかな。

極私的事情で説明すると、たとえば、Aというウェブページをいじるとき、
・ブラウザ (b)
・FTP (f)
・エディタ (e)
という3つのウィンドウが一組になって、Aページを寄ってたかって叩くわけです。このとき同時に、Bや Cという別サーバのファイルを開いて同じことをやったりするわけです。時には APIの仕様書を開いていたりもします。WindowsXPだったときは、こういう場合、ブラウザのボタンが A、B、Cを区別する区切りとして機能してくれていたわけです。私の場合、大概は Firefoxの丸いアイコンが区切り目標になります。

たとえば、こんな感じです。途中に紛れ込んでいるB(d)は、Bの資料(document)のつもりです。

A(b) A(f) A(e) B(b) B(f) B(e) B(d) C(b) C(f) C(e)

ところが、Windows7になってみると、Aも Bも Cも、ブラウザはひと塊りになってしまって、FTPやエディタも別の塊りになってしまって、探すのが面倒で仕方が無い。いちいちウィンドウのボタンの上の文字を読んで探さないといけない。つまり、こうなります。

A(b) B(b) C(b) A(f) B(f) C(f) B(d) A(e) B(e) C(e)


A、B、Cごとにブラウザ、FTP、エディタがセットになっていると、おおよその位置で探せるのでマウスなんかの大雑把な動きで選ぶことが出来ました。が、今回の Win7になってのボタンの上の文字読んで……て、最近、老眼が入ってきているので結構つらいンですけど。……ああ、そうか。ロートルはコーディングなんかするな、と。

ちょっとしたことですが、コードのテストしているときなどには頻繁にウィンドウを切り替えますので、労力の総量、そこから受けるストレスの総量は莫迦にならない。

て、私だけなのかな。みなさん、疲れません? いや、その前に、40代以降はプログラミングなんかするな、と。

【参考】
タスク バーでのボタンの表示方法を変更する
http://windows.microsoft.com/ja-JP/windows7/Change-how-buttons-appear-on-the-taskbar

_20130701140837

【追記】
Taskbar Tweaker というツールを使うとグルーピングをオフに出来るので便利なことがわかりました。これは便利。極私的にすっごい便利!( 気になる人は検索してね )



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