育児

2014.04.09

ぴかぴかの1年生。

息子が小学生になって、火曜日は最初の登校日だった。周りのおかあさん達から「最初は疲れて7時には寝ちゃうよ」と聞かされていたのだが、本当にそうなってしまった。

小学校に通い始めて、学校で使うための持ち物を整えたり調整したり、ウチの中の学用品の収納やら小学校の年間行事を勘案しての仕事の段取りとか、道具箱は、算数セットは、体育着はいつ持っていかねばならないのかとか、考えて決めねばならないこと、スケジュールに投下していかねばならないことがたくさんあるのだが、なかなか先に進まない。家人の言葉を借りれば「現実逃避したい」というやつ。でも、とにかく書き出してひとつずつ片付けていかねばならないのだ。時間は待ってくれない。息子も立ち止まってはくれない。

その息子だが、入学式後の最初の登校日だった昨日は、疲れてしまってとうとう公文で寝てしまった。そろそろ迎えに行こうかとしていたら公文の教室から電話があって、息子が熟睡している、と。

大物になるのか、大馬鹿ものになるのか。

同じ教室に通っているひとつ下のTちゃんが、机の上に突っ伏している息子を見て、「わたしも らいねんがっこうにいったら こうなるのかしら」と言ったそうだ。大丈夫だよ、君はずっとしっかりしているから。ウチのコレが莫迦息子なんです。

時間さかのぼって学童保育に家人が迎えに行った時は、「まだあそびたい」とふくれていてゴネていたので、同じ学童保育の友達のSくんがハイ、ハイ、と我が息子の荷物を持ってきてくれたそうだ。

同い年に弟扱いされ、年下から心配され、何だか息子はダメなんだか愛されてんだか何なんだか……。

しかし、体力が足りないのは確かなところ。入学式後の教室での時間で「つかれたから はやくかえりたい」とぶつぶつ云っていたのはウチの子です。ごめんなさい。

息子は自転車が好きだから、自転車で何とかならないかな、と考えている。果たして練馬区にそんな場所があるのかどうか、疑問なんだけど。刀剣類が好きだから、スポーツチャンバラでもやらせてみるかな。

2013.07.31

だんごむしは さわられると まるくなります。

来年に小学校入学の息子が、自学自習が目的のプリント学習指導の教室に通い始めて3か月が経つ。週に2回、保育園の帰りに母親に付き添われて通い、宿題のプリントを持ち帰ってきている。

毎日、朝と夜の2回、宿題のプリントをこなすよう習慣づけを始めたけれども、なかなか難しい。「これは、親のライフスタイルを問われてるよね」と家人と意見が一致している。

朝、朝食の皿を洗っていると、食卓テーブルから息子の読み上げる声が聞こえてくる。

息子「だんごむしは さわられると まるくなります」
母親「ちがう。よく見て読んで」
息子「?」

こういうことらしい。

(問題文)
だんごむしは さわると まるくなります。
 ↓
(息子の読み)
だんごむしは さわられると まるくなります。

日常によく見られる、というか、耳にする言い回しである。「猫は撫でると目を細める」とか「風船を針でつつくと割れる」とか。

そこでふと思った。息子が読み上げた「誤答」が日本語としては適切なのではないか。「だんごむし」が「さわる」のではなく、(ひとが)「だんごむし」に「さわると」「だんごむし」は「まるくなります」なのであって、つまりは問題文はこうなり得る。

→ だんごむしは ( ひとが )さわると まるくなります。

ここには「だんごむし」だけではなくて、行為者として( そして恐らくは観察者として )の“ひと”の2者が存在している。

いっぽう、問題文における一人称としての「だんごむし」を読み取った息子は、「だんごむし」視線で「さわ“られ”る」と受身で読み取った。ここには「だんごむし」にとっての世界観が現れているとはいえまいか。

「だんごむし」にとっての“ひと”とは、遥か空の高みから降りてくる未知の存在、超越的な何ものかであって、「だんごむし」にとっての理解の範囲を超えているのだ。だから、そこには「だんごむし」対“ひと”という2者による構図はなく、あくまでも「だんごむし」の主観だけしか存在していない!

ということで、「さわると」を「さわられると」と読んだ息子は、無意識にそんな世界構造を、彼自身の頭の中に瞬間的に構築したのかなぁ、と思いながら私は朝食の皿を洗い上げたのだった。

たぶん、こんなところまで考えて問題文を作ったりはしないよネ。

それに、回答する子どものほうも、いちいちそんなこと頓着せずに、普通に、日常的に一般的に回答すればいい。そうすれば取り敢えず無難だし、目上の指示に従うにはそれで十分なんだから。そうすれば世界は取り敢えず丸く収まるし波風立たないから。

2013.07.02

ゾフィーが小さかった……。

息子6歳がウルトラマン・シリーズのファンで、ソフビ(人形)もそこそこ揃っているのだが、ウルトラ6兄弟のうちゾフィーだけがなかった。店頭からなくなるし、Amazonの通販でも数がなくて、あれれ? と思っていたら「ウルトラヒーロー500」というシリーズが出ることを知ったので、さっそく予約注文した。で、今日届いたのを見て驚いた。

小さい。

ゼロが「ま、気にすんなヨ、おじさん」と云っているように見える。息子はガッカリしたのか、放り出してそのまま見向きもしない。

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2013.06.14

行け行け! 親父なんか置き去りにして、どんどん進め!

先日の、息子の保育園の遠足に同伴の折、林の中の坂道を子供たちが駆け出した。道の向こうには何があるんだろう、と。

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「いくぞ!」「おー!」

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あっという間に見えなくなった。そうだ。親父のことなんか放っておいて、君たちはどんどん先に行くがいい。

2012.06.28

LEDの青い光が睡眠を邪魔するなら、青をやめればいいじゃん、と思った。

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青い光は睡眠の質を悪くするらしい。寝付けない、深く眠れない、早く目覚める。ほかにも、偏頭痛の悪化原因になるとか、目の細胞が傷つくとか……。

5歳息子は21時までテレビを見ていたりするけど、今夜などは22時まで寝つけずに布団の上でゴロゴロしていた。きのう添い寝をしている時に目を叩かれるか蹴られるかした時も、たぶん彼は起きていたのだと思う。テレビを見ていたから寝つけなくなっていたのではなかろうか。テレビを見ない親の方が、添い寝をしつつ先に眠ってしまっている。

ともかく、20時過ぎにはテレビを見せない、パソコンも見せないということが必要なのだろう。「世間一般」というのは嫌いな言葉なんだけど、でも世間一般では、眠りの足りない子どもは太りやすいとか切れやすいとか云われているみたいで気になるし無視できない。たとえそれが週刊誌ネタレベルのことであっても、こと子どもに関することだと看過できないし、敏感になってしまうところは福島第一原発の放射能汚染に対するのと同じだ。

◇ ◇

ところで、自分が子どもの頃は、20時には寝ていたと思う。親の生活時間が夜遅くになるので、どうしても子どもの寝る時間が遅くなるけど、よくない。たぶん、その辺を無頓着に過ごしてしまいがちな私や家人が一番悪いのだろうし、そういう観点で労働時間とか何とかを考えようとしない企業や労働関係省庁や政治家が悪いのだろうし、声を上げようとしない私たちが悪いのだろう。

◇ ◇

話戻すけど、気になるのは Windowsとかのログオン画面は青が基調色になっていること。人の健康を本当に気に懸けているなら、簡単に色を変更できるようにしておくべきなんだろうと思った。18時過ぎたら睡眠を邪魔しない色調に自動的に変更してくれるとか、バックライトの色温度を変更してくれるとか。

“本気”って何だろうと思った。まだまだやるべきことはたくさんあるみたいだね。

( photo by juanpol )

2011.10.19

(仮説)管理職こそ子育てに向いている、はず。

仕事ではコーディングとかするんだけど、週明けの月火2日間くらいがひどくくたびれることに気づいた。え〜? なんだろう、前は、こんなことなかったのに、書きたくねぇ〜。

そこで思い当たったのが週末に2日間、4歳の子どもと一緒にいるということ。彼の相手をしていると頭が完全に会社の仕事から離れてしまう。とにかく子どもの相手をするのは時間と集中力の両方を大量投下しないといけない。だから仕事のことを考えるなんてゆとりが皆無になる。

実は、子育てというのは野方図に伸びようとする子どもの創造性を整える仕事で、それは「規範」とか「道徳」なんてものに従って管理する部分が大きいので、親の仕事としては管理職的なのではなかろうか。子どものクリエイティブ部分は邪魔をせずに放っておいても勝手に伸びていく。どちらかというと、既存社会に最適化する部分を親が助けるという機能が強いように思う。

対して、プログラムを作ったり新しいビジネスモデルを考えたりという仕事は、管理運営ではなくてデザイナーに近い。発想を常識からどんどん外してみるという創造性を要求される仕事。専門職とかクリエータとか技術屋とかデザイナーとかいう人たちは探究・構築しつつ既存のルールを越えたところに価値を作り出すのが仕事。

管理職とかマネージャとか部課長とかいう人たちは、既存のルールに従って部下を管理・育成しつつ組織を最適化していくのが仕事なので、まさに、これって子育てと同じ方向の仕事なんじゃないだろうか。

だから子どもが生まれて小さい頃に昇進して管理職としてスタートするのは、時期的に良いタイミングなのかもしれない。そして、子どもが大きくなって手が離れる頃に、今度は新しいスタートアップで事業やらビジネスモデルを立ち上げるというのがいいのかもしれない。

だから、コーディングなんて若いのに任せて、私は管理側に回った方がいいんだよ、なんて言い訳ばかり考えて、コーディングから逃げてます。

2011.03.21

ダイヤブロックジュニアの車輪を増強してみた。

連日の震災関連報道で、3歳の息子はうんざりしている。そりゃそうだ。大人が真剣に、そして暗い表情になりがちだから。それでも慰めがあるとすれば、テレビ画面に時々映し出されるヘリコプターや特殊車両かもしれない。画面に登場する輸送ヘリや大きな消防車を見ては「あれ つくって!」と。

我が家ではダイヤブロックジュニアの「きほんのバケツL」で遊ばせている。これには車輪が4個ついた赤い台車が1個ついているのだが、当然ながら足りない。ということで、家人がもうひとつ「バケツL」を買ってしまった。これで台車2個。車輪のパーツを手に入れるために同じ商品をもうひとつ買ってしまうなんてどうかしているかもしれないけど、息子も親も「車輪が足りない」と欲求不満だったから、当面の解決策としては効果があった。

が、ブロックでいろいろな乗り物を作るのに馴れてきた息子は「もっと しゃりんが ほしい」と要求するようになった。人間の欲望は限りない。まぁ、親も「もっと複雑なものを作りたい」と欲張るようになってきていたことだし( どっちが子どもがわからん )。

しかし、車輪パーツを手に入れるために、さらに「きほんのバケツL」を買い足すほどウチは広くない。そこで考えた。「模型の車輪が使えないかな?」

で、Amazonで検索してみたら、タミヤの「楽しい工作シリーズ No.101 トラックタイヤ 36mm」というのを見つけた。最初に1個だけ試しに買ってみたら、なかなかいい。なので、さらに3個を追加購入。震災後のこの大変な時に、宅配便業者のリソースを使って申し訳ないんだけど。

ということで、以下製作メモ。作り方は簡単。

ダイヤブロックの適当なブロックを選んで、直径3ミリの穴を開けて通すだけ。ブロックはプラスティックなので、錐(きり)のような適当な道具で穴あけしてやればいい。

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車輪が軽く回るように、穴は少しだけ大きめにする。穴あけのイチは適当に。あまりブロックの縁に近いとブロックにひびが入ってしまうかもしれないから気をつける。写真は縁から6ミリほどのところにあけた状態。

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車軸を通してタイヤを取り付けるとこんな具合。タイヤはぴったりはめ込んでしまうとブロックとの摩擦で回りにくくなるので、心持ちゆるめに。

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合計8組の車輪パーツを自作した。こんな具合に使える。

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これでしばらくの間は遊べることだろう。父親がパーツを作っている間にお昼寝モードに突入してしまった息子だが、目覚めたときが楽しみ。渋谷模型さん、ありがとう。それと Amazon.co.jp と配達してくれた佐川急便にも。こんな大変なときにつまらないものを注文してしまって、ごめんなさい。

それに、「えだのかんぼうちょうかん」とか「しーべると」なんてニコニコしながら唱えている息子にも。こんなコトバを3歳児に憶えさせるような世界を作ってしまって、本当にゴメン。こんなアホタレな世界を許してしまったのは私の責任だ。

福島原発で頑張っている人たちにエールを送ります。息子がこんな絵を描いてくれました。ガンバレ、て。

2009.11.20

子どもがうそつきを覚える仕組み

2歳半の息子を見ていて考えたこと。「子どもがウソのつき方を覚えるのは、親に最適化するからなんだ」ということ。


最初は正直なのだ。たとえば食事時にわざとフォークを床に落としたりする。すると親は「だめ。フォークを床に落としちゃ」なんて注意するわけだ。すると子どもは正直だから最初は「やだよ〜」とか云って、フォークを落とすことは正当なんだ、自分の望んでいることなんだ、と主張する。


そうなると親は「このまじゃマズイ」と思って、「ダメなんだよ。今度やったら怒るからね」とかなんとか、いわゆる“小言”とか“説教”なんてかんじになってくる。


子どもとしては、自分が(たぶん)唯一頼るべき存在の親が、何か自分を否定するような雰囲気のことを云っている。まずい。このままじゃママちゃんに嫌われちゃう、と思うのか、突然「うん」とかうなずくようになる。


「わかったね? もう、しないね?」「うん」


でも、次の食事時には再びフォークをポイっと床の上に投げ捨ててケケケ……と笑っている。「もう、何度云ったらわかるの」、で同じ繰り返し。


横で表情や反応を見ていて思ったのだが、恐らく子どもはフォークを投げ捨てるとかの具体的な事象ではなく、その場の雰囲気、つまり「やばい、ママちゃんに嫌われるかも」という雰囲気を何とかしようとして状況に適応しているのではないか。


まだまだ小さいから、フォークを投げ捨てたことを何とかしつつ、嫌われるかもしれないという状況の両方に対応することができないから、より切実な「嫌われないためにはどうするか」について最適化して反応しているのではないか。それが、「わかったね?」「うん」になっているんじゃないか。


こうして、結果として子どもはウソのつき方を身につけてゆく。


なんて、ぼんやり考えながら横でモグモグ食べている父親の私は、この状況にどう最適化すればいいんだろうか。


ま、いっか。

2009.10.21

子連れは有楽町に来るな!

(2011-08-17 追記があります)

このあいだの休日、電車好きな2歳の息子を連れて東京駅の新幹線ホームに行ってきた。自宅の最寄駅から東京メトロ有楽町線の有楽町駅まで行けば有楽町から東京駅までは散歩コースにちょうどいいよね、とか、無印良品の有楽町店の Meal MUJI で昼ご飯を食べられるかもしれない、なんて期待しながら。

結果として、麺食い息子の食べそうなメニューが Meal MUJI にはなかったので、隣の紅虎餃子房で食べたんだけど( 黒胡麻担担麺、うまかったです )、天気も好かったし、東京駅の新幹線ホームでは、“こまち”と“はやて”の連結したやつだとか、“Max”と“つばさ”とかをたっぷりと見られたし、“とき”の運転士さんには手を振ってもらって息子は大喜びだったし、おかげで親もなかなか楽しかった。入場券130円で2時間まで駅構内をウロチョロできるというのは、けっこう手軽でお得な娯楽だと思う。

で、何が不満で「子連れは有楽町に来るな!」なんてタイトルにしたのかというと、ベビーカーを押して東京メトロ有楽町線の有楽町駅から地上に出るまでがダメダメだと思ったからなのだ。

▽有楽町線有楽町駅構内図
http://www.tokyometro.jp/rosen/eki/yurakucho/map_rittai_1.html

駅構内図(2009年10月現在)を見てもらうとわかるが、有楽町線は B3F、つまり地下3階にプラットホームがある。まず、ベビーカーを押して、もしくは車椅子で電車を降りて改札階である B1Fに上がるには、ホーム中央にあるエレベータを使わねばならない。

エレベータで上がったところは、微妙に小高い丘状のフロアになる。ここから東の東京国際フォーラム方面に向かうにも、西の三田線や日比谷方面に向かうにも、この中途半端なロフト部分から下におりなければならない。今回は無印良品有楽町店に向かうので、東京国際フォーラムから地上に出ることにする。なぜなら、途中にあるビックカメラも、その先にある交通会館も、B1Fの地下コンコースから地上に出るには階段や人混みがハードルになるからだ。( 交通会館側はバリアフリー工事中だそうで、ちょっとは期待できるかな )

ということで、この中途半端なロフト部分からは、車椅子用のスロープを下りることにする( ちなみにココの改札は駅員がいないので、何かあったときには再びホームに戻りエスカレータで駅員を呼びに行くか、途方に暮れるしかない インタフォンあんのか? 無線LANが来ているみたいだから、それを使ってメールを送信すればいいか )。D3出口を左に見ながら進むと、再び中途半端な下り階段が現れる。これが最初の難所だ。車椅子用リフトはあるが、ベビーカーでそれを使うわけにはいかないから、ベビーカーを抱えて階段をおりることになる。( こういうヘンチクリンな高低差とか、微妙な屈曲があるから「東京の地下は……」なんてアレコレ想像したくなる )

構内図には「バリアフリー経路図」なんて偉そうに赤い線でルートが描いてあるが、あくまでも車椅子利用を前提としていて、ベビーカーのことなんて考えていないらしい。

次に、国際フォーラムへ上がる D5出口にも再び中途半端な階段が現れて、構内図には「段差解消機」なんて書いてあるけど、コレ、いったい何ね、こんなもん気づかんかったぞ。仕方がないので、ベビーカーを抱えて今度は階段をのぼることになる。

で、上がったところが東京国際フォーラムのB1Fになる。ここで、エレベータを探してみると、建物の反対側のほうに車椅子用エレベータというのがあるらしいことがわかる。東に一箇所、北に一箇所。ためしに北のエレベータに向かってみると、階段脇の狭いスペースに押し込まれるようにしてあった。注意書きのようなものが掲示してあり、車椅子専用なのでベビーカーで使うとまずいんじゃないか、施設関係者が見たら注意されるんじゃないか、という気分になりながら待っていると、エレベータが到着して扉が開いた。

▽ 東京国際フォーラム バリアフリー情報
http://www.t-i-forum.co.jp/company/barrier.html

そこにはゴミの大きなカートと清掃スタッフと思われるオッサンがひとり

それだけでエレベータの中はいっぱいいっぱいで、とてもベビーカーを乗せるなんてことはできない。「どぞ、気にしないでいってください」とにこやかにゴミカートにエレベータを譲り、結局、エスカレーターにベビーカーを乗せて地上階に出たのだった( ほんとはイケナイので真似しないでね )。こちらが車椅子だったら、あのオッサンはどうしたんだろうか。とても車椅子をよけてゴミカートを下ろすなんて余地は、エレベータホールにはなかった( そもそも 「ホール」なんて広さじゃない )。

施設平面図をウェブで見ると、有楽町線から入ったすぐ右側、それと B1Fコンコース沿いの西側に2箇所エレベータがあるらしいのだが気づかなかった。こんど行ったらよく確認してみようと思う。……ていうか、案内表示が機能していないということでダメダメかもしれない。子連れでテンパってたから気づかなかったのかなぁ。

以前、イベントのために東京国際フォーラムを借りたことがあるという妻によると、「来賓の高齢の御婦人で、すり足でしか歩けないような人がいて、とてもエスカレーターに乗れないし、エレベータの場所がわからなかったのでバックヤードの荷物用エレベーターにご案内したことがある」そうだ。

まぁ、バリアフリーといっても、作った人間の頭の中には車椅子しかなくて、荷物を持ってベビーカーを押しているとか、すり足でゆっくりとしか歩けない高齢者なんてのは想定外だったんだろうなぁ、と。簡単に云ってしまえば「それが仕様です」ってことなんだろうなぁ、と思った。

同じようなことは、有楽町線銀座一丁目駅にも云えることを別の日に実地で確認してしまったのだが、つまりは、有楽町や銀座にはベビーカーを押して来るな、子どもが歩けるようになって来い、と、街全体が語っているのかなぁ、と思ってしまった。スタスタと歩ける健康な人の街なんだろうね、と皮肉のひとつも云いたくなるけど、たぶん子持ちの身勝手ってやつなんだろう。

【追記】(2011-08-17)
先週の木曜日に羽田へ急いでいるときに、久しぶりに東京メトロ・有楽町駅を通ったんだけど、バリアフリー工事が終わって結構ラクになってた。時間があれば写真撮って、もう少し細かく見たかったんだけど、子ども連れで飛行機の時間が迫っていたので、また別の機会に。当の子どもは既にベビーカーを卒業しちゃってるんで、個人的には、もうどうでもいいんだけど。
「東京メトロ バリアフリー」でググると

▼ バリアフリー設備|東京メトロ:
http://www.tokyometro.jp/safety/barrierfree/index.html

なんてのが出てくるので、ご参考まで。たとえば、有楽町駅についてはこんな具合

2009.09.16

2歳の息子が背中で語っている

親ばかです。

息子は2歳で保育園に預けている。まだオムツがとれないし指しゃぶりだって続いている。だが、2歳の誕生日の前後からおしゃべりでいろいろと自己主張するようになった。鉄道好きで、電車なら島根の宍道湖畔を走る一畑電鉄や、紀伊半島の三岐鉄道の電鐘式踏み切りとか、京急のファソラシドレミファソ2100系なんてのが好きだし、ケツメイシの「トレイン」が流れるJRのCMが好きで、やっぱりなんといっても蒸気機関車に目がない( YouTubeを見せ過ぎ、と反省している )。

保育園の散歩コースにも線路際があるようで、通過する電車を見るたびに大喜びしていると保育士の方から話を聞いている。地元を走っているのは西武鉄道しかないので普段から目にするのは3000系という黄色い車体が多くなる。そのためか一番好きな電車は西武鉄道の黄色い電車のようだ。自宅では、よく「きいろい、でんしゃ」と云っている。

夕方、保育園からの帰り道、ちょっと遠回りして近くの踏切まで電車を見に行くことがある。ちょうどダイヤが混んでいる時間帯なので、うまくゆくと上下線あわせて3本くらいの電車が通過するのをまとめて見られる。そんなとき、息子はベビーカーの上でカラダを揺らして喜ぶのがいつものお約束。

ひととおり電車が通り過ぎ、カンカンという警報が鳴り止んで遮断機があがったら「おしまいっ、さぁ、帰ろう」と云って回れ右して家に向かうわけだ。

そんなぐあいに回れ右をして歩き出しても、ふたたび踏み切りの警報音が鳴り始めると、ベビーカーから身を乗り出して後ろを見ながら「でんしゃ、でんしゃ」と云って見せろとせがんでいた息子だが、最近は自分で我慢することを覚えた。

踏み切りが鳴り出しても、座っている自分の前にあるベビーカーの手すりをキッと握り締め、「おしまいっ」と云って自分でうなずきながら我慢している。数日前もそのパターンだったが、普段よりも小さな声でボソっと「おしまいっ」といって力の入っている息子の小さな肩を見たとき、思わず「ケンさん」と思ってしまった。高倉健。

おいおい、2歳でそんな男の哀愁を背中に漂わせてどうすんだよ……、て。でも、きっと男というのは生まれつきこんな部分があるんだろうな、とヘンに納得もしてしまった。

そんな息子が39度の熱を出してクタっとなってしまったので坐薬を使用。インフルエンザの検査では陰性だったが、もう少し様子を見なければならないだろう。坐薬を入れて1時間ほど眠ると、ほぼ平熱まで戻って元気が戻ってきた息子なわけだが、目ざめて開口一番云った言葉が、

なにやってんだよぉ~!!

え゛? 保育園でおぼえてきたらしい。
任侠まっしぐら。2歳の秋が始まった。

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