【追記】

2011.04.12

背番号ついてもイイじゃん。国民総背番号制と通信インフラの強化が進む、かな。

この大震災について報道や、被災地に入った人のtweetを眺めて思ったのは、情報という神経ラインが弱いということ。

電力が落ちて、通信線がズタズタになってしまって、誰が何処にどれくらい居るのか居ないのかが分からない、何が何処でどれくらい必要とされているかも分からない。そもそも誰が居なくなったのかさえ把握できない。被災地の人が必要としている情報や物資を「欲しい」と叫ぼうにも、その叫びを届ける術もない。

それと年寄りが多いからというのもあるだろうけど、メディカル分野での対応が追いついていないんじゃないかな。

自分が持病持ちで薬を飲んでいるせいで気になるんだと思うけど、普段から使っている薬品が津波で流されてしまって、次に発作が起きたらどうすればいいんだろう、という不安を抱えながらの避難生活。身近に医師がいなくても、薬さえあればなんとかなるんじゃないか、いや、きっとなんとかなる、と思えるものだが、その頼みの綱が無くなってしまっているときの心細さはよくわかる気がする。

だが、何もかも流されちゃってるので、今までどんな薬を飲んでいたのか、どんな病歴があるのかが、たとえ被災地に医師が薬剤師が入ったとしても容易に把握できない。処置や処方に手間取ることになるし、薬の備蓄・在庫の管理が追いつかない。

これから日本はますます高齢化する、てことは、いざというときの医療・薬品分野での対応が一層必要とされる事態が容易に予想される、ということ。

で、そんなこんなを見たり聞いたりしていて思った。これから先、国民総背番号制をきちんと制度として立ち上げて、先ずはそこに電子カルテと運転免許証のデータを紐づけておくべきじゃないか、って。

こんなこと書いたり云ったりすると「個人の権利の侵害だ」とか「プライバシーが侵される」なんて反対する人が必ずいるんだけど、侵害されたり侵されたりする前に、自分が死んじゃったらどうしようもないだろ? と思うのだ。

あんた、そんなに悪いことしてんの? 脱税でもやってるの? と。

まぁ、こんな具合に考えるのは、私自身が社会的に無害でちっぽけな存在で、個人のアレコレを知られたところで「てへ、恥ずかしいなぁ」と舌をペロッと出して赤面する程度だからなのかもしれない。その程度の小市民てことです。

だったら、希望者だけでも国民総背番号制に参加する、てのはどうだろうか。( 限定的てことで「総」じゃないけど )

あと同時に必要なのは、災害に強い通信インフラ。そこで個人的にはまたもやPHSを押してしまうわけだが、マイクロセル方式にしてやれば、たとえ被害を受けたとしても、基地局が小規模になるので消費電力が少ないからバッテリや太陽光での充電で、延命が簡単になるだろう、と思うのだ。

アドホックネットワークとか飛行船とばして基地局にするとかもイイかな。

で、個人の生活ではスマホのようなネットに親和性の高い携帯端末を、税金投入してもいいから全国民に普及させる。そして、誰もが使いこなせるようなアプリとバックボーンを構築してやる、と。( アプリ作家のみなさん、出番ですよ )

それと、コミュニティラジオ局が強いかな、と思う。一斉同報の仕組みとして威力を発揮しそうだ。仕組みは簡単だし。だから、コミュニティラジオ局向けのコンテンツ制作なんてのが流行るかもしれないな。( あ〜、USENの中の人、聞いてる?)

ラジオは、携帯端末への一斉同報インフラとしても活用できそうだ。

で、先の「背番号」と個人の携帯端末を紐づけてやる。ついでに決済システムも紐づけてやる。何も背番号をそのままクレジットカードにくっつける必要はないわけで、携帯端末で紐付けや逆引きできるように、そしてその参照機能は携帯端末の持ち主の承認で可能になるようにしておけばいい。決済機能をくっつけとけば、いつでも持ち歩くでしょ?

国民総背番号を、その目的を「生き延びるための番号」と位置づけて構築する時期じゃないかなぁ。

【追記】
参考:脱中心型首都機能論とは何か? - 京極 真 : アゴラ - ライブドアブログ

2011.04.11

やっぱりPHSの解約はやめようと思う。

15年前からPHSを使っている。使い始めた当時は料金が安かったから、が契約の理由。それに当時は技術的にもケータイよりは優れていたのも選んだ理由だったかな。音がきれいだったし、その後も料金システムなどが先進的だった。なので、家族や親戚にもPHSを勧めて、いまのところ私の周囲はPHSで固めてある。

でも、その後のPHSの凋落は御存知の通りで、あ~あ、もうだめかな、ケータイにしちゃおうかな、と思っていた矢先の大震災だった。

当日、仕事に出ていた家人とのやり取りはPHSの電子メールと音声通話でおこなっていたけど、何の支障もなかった。が、ケータイは規制がかかっていたみたいでつながりにくかったらしい、ね? たぶんPHSのマイクロセル方式が本格的に威力を見せつけたんじゃないか、と思う。

いまでは年寄りも普通に携帯電話を使っているけど、ケータイでインターネットを使いこなせている人はどれくらいいるのだろうか。震災時、「携帯電話は持っていても、テレビを見たりネットを使う方法は知らない」ので一時避難場所として開放されていた公共施設の情報を得られなかった人が多かったんじゃないだろうか。

年寄りに「ネット使えよ」とか云うのは簡単だけど、日常的に使わないとすぐ忘れちゃうだろうし、そもそもそういう人たちは必要性を感じないから、問題意識も芽生えないし、だから使いこなすなんてムリ。

だったら、非常時につながりやすいPHSでいいんじゃね? と思うのだ。子どもや親戚、知り合いでネットを使いこなせる人たちから音声とかメールで情報を伝えてもらえばいい。メールを読むくらいのことは、うちの親(80代)でもできる。ムリにネットを使おうなんてしなくても、そうやって“身近な人メディア”を活用することを目指したほうがいいんじゃないかな、と思うのだ。

私の両親にはPHSを持たせてあるので、ネットを使えなくても取り敢えず私や家人が“メディア”になって“つながっている状態”を維持できると思う。なので、PHSの解約は見合わせることにする。「ケータイにしようかなぁ」と云っていた家人も「やっぱりやめられない」と翻意していた。

え? 私が“メディア”として機能できないんじゃどうしようもない、って? そう思って、固定電話を含め取り敢えず8回線用意して、そのうち5回線はモバイル利用できるようにしてある。もちろんキャリアを分散していることは云うまでもない( 自慢っ )。

【追記】
参考:災害時にPHSとSkype評価 規制少なく「つながる」 - ITmedia ニュース

現在、自家発電機の導入を検討中、既にバッテリ式の電源バックアップは完備してある。たぶんスマートグリッドが普及していたら、この努力も半分くらいで済むんだろうけど、ね。


2011.01.06

「リアルタイム」の反対語は何だろうか?【追記】

以前のエントリ“「リアルタイム」の反対語は何だろうか?”に関連して、シロクマ日報の小林啓倫さんが参考になるポスト。

▼ 「ライトタイムウェブ」の再評価:シロクマ日報:ITmedia オルタナティブ・ブログ
http://blogs.itmedia.co.jp/akihito/2011/01/post-4fe5.html

“right”には「適切な」とか「当を得た」という意味があるし、real も right も R で始まるので何だかシックリくるかんじがする。ググったらこんなブログが出てきた。

▼ The Right-Time Web « Pakman’s Blog: Disruption
http://dpakman.wordpress.com/2010/04/16/the-right-time-web/

このエントリで、町でコーヒー屋に入りたいとき、現在流れ込んできているダイナミックな情報よりは、構成済みの静的なほうが役立つね、みたいなことが書いてあってわかりやすい。

情報学では必ず出てくる( んだよね? 20年前はそうだった )

 事実~情報~知識

の図式で考えると、事実≒リアルタイム、知識≒ライトタイムという感じなんだろうか。人がどのような意味をそこに見出すのかによって、この認識は変わってくる。

ライトタイムだからもう変化しないのかというとそうでもなくて、リアルタイム情報を取り込みながら内容や構成を変化させていく。同時に、その構成自体に意味を見い出せる。でもって、その構成自体が変化し得るというところに、ライトタイム的機能のカナメがあるんだろうなぁ(ちょっと混乱してる)……と小林さんのエントリを、昼ご飯を食べながら読んで考えていた。

ああそうだ。小林さんご紹介の「もうすぐ絶滅するという紙の書物について」を買いました。分厚いので自炊しようかと思った。しかし、そんなによくない装丁だけど天地小口に着色してあったりカバーが両面印刷だったりで凝ったところもあるので、バラせないままツンドク化しつつあります。こういうのはページ内情報だけじゃなくて、書物としての形態自体が意味を持ってきているという点でリアルとかライトとかを考えるところにつながりそうですね。

2010.12.25

コーヒー豆を“ジャケ買い”した件

20101225sa_135546

honu加藤珈琲店というところが Amazonに商品を出しているのを初めて知ったのは昨夜のこと。愛知県にあるらしい。

自宅の冷凍庫を開いたら「コーヒーが無い!」という、まさに驚愕の事実に気づいたわけだが時刻は夕食後の既に午後8時過ぎ。このあと、息子を風呂に入れたり皿を洗ったりなんてことが控えているわけで、コンビニに行くにも遅すぎる。仕方ないので泣く泣く諦めた。

ところで、このところ洗剤など日用品も Amazonで買うようになっているのだが、「コーヒー豆ってあるでしょ、きっと」と検索してみると出てきた。ふ~ん、一杯ごとのバッグタイプとか、イッリのエスプレッソ用なんてのがあるな~、と検索結果リストを眺めていたら、変なサムネイルが出てきた。なんか女の子がニコニコしていて、その後ろでふたりの男(?)がめそめそしている雰囲気。クリックすると、コーヒーの福袋だって。

写真と「間違って作っちゃいました・・・毎日忙しくやっていますと色々あるんです・・・(^▽^;)」という“商品説明”で買うことに決めてしまった。1.5キログラムで二千円弱ならお買い得じゃね? ということで。届くまで数日かかるわけで、すぐに飲めるわけじゃないけど、ま、いっか。それまでドトールで飲もう。

いま、商品の到着を楽しみに待っている。ハズレでもいいや。面白いから。

【追記:12/29】
無事にごっそり到着しました。1.5キロの量にびびってますが、おいしいです。

Amazonで「加藤珈琲」を検索

愛知県の新着情報 - JapanLocal.info

2010.08.22

紙の書籍に最初から“自炊”データ付けて売っちゃえよ

紙の書籍にデジタルデータをつけて販売するとき、本当の読者を識別するにはどうすればいいか、を考えた。

デジタルデータはインターネットでウェブブラウザを使って閲覧・ダウンロードできるようにしておく。そのとき、「このユーザは確かに本書を購入した読者である」を“ほぼ確実に”識別する方法だ。簡便な方法として、書籍に印刷されたコード番号をユーザがブラウザから入力する、というのが考えられる。

このとき、コード番号がネットの掲示板なんかに晒されたら、コード番号の本来の意味がなくなってしまう。では、どうするか。

一つ考えられるのは、書籍に印刷するコード番号を一冊ずつ変えておく、という方法。この方法だと書籍本体にコード番号を印刷するのは難しいだろう。だからカバーの裏側なんかに印刷する方式になる。そのユニークなコード番号は、ネットでの認証では1回しか使えないようにしておけばいい。

ただし、カバーを汚損などで失ったときには使えなくなる。そもそもカバーの裏側にユニークな番号を印刷するという工程でコストが増える。

そこで、考えた。

書籍の全ページにランダムでユニークなコード番号を印刷しておけばいいんじゃね?
Imgp5781

各ページにコード番号を印刷しておく。これは版下の段階で決めてしまう( 自動で )。つまり、出版された書籍には全く同じ組み合わせのコード番号が掲載されていることになる。そして、ネットでの認証で、「○○○ページのコード番号を入力してください」の質問に正解しないと閲覧やダウンロードのサービスを受けられないようにしておく。

たとえば、各ページの上下にランダムでユニークなコード番号を印刷したとすると、300ページの本の場合 600パターンのコード番号が載っていることになる。でもって、ネットでの認証での質問を 2個のコード番号を組み合わせて正解しないとパスできないようにしておけば、600×600=360000パターンの認証に使えるというわけだ。30万部売れそうな本だったらこれで十分。3個の組み合わせにしてやれば600×600×600=2億1600万パターン。こんなに売れる本はないだろう、ね( 暗算できなくて電卓出しちゃったよ )。

「○○○ページの上(下)のコード番号を入力してください」を 3回ということ。

ネットに晒すとしても、600パターンをページとの対応表でリスト化しないといけないのでコスト的に見合わないだろう。OCR読み込みが難しいように淡色で印刷するとか、ちょっと変わった字体にするとか、コード番号を縦書きだったり横書きだったりとか変えて難読化しておけばいいかも。

出版社側は、印刷前の版下データでコード番号の一覧表を持つことができるから、閲覧・ダウンロードのサイトでの認証システムなんてのは簡単にできそうだ。出版と同時にウェブでのサービスをスタートさせやすい。

こういう方法を使ってやれば、紙書籍→電子書籍への時代の変化にソフトランディングできるんじゃない? “自炊”なんて面倒なことしないで済むし、読者的には歓迎なんだけど。

※300ページの場合、正確には2正解型で 600×599=359400通り、3正解型で 600×599×598=214921200通りなんだけど、ま、膨大な数をまかなえるということで。

【追記 2011/01/21】
参考: 「自炊の森」が店舗再開 大手出版社、自炊業者に対抗策も - ITmedia News
あ~、もう、いつまでこんなとこでガタガタやってんだ、という気分です。ていうか、「FREE」な世界に移行するだけの何かが決定的に欠けてるのかなぁ、と。

2010.04.17

自然災害がテレワークを促進する、かも

アイスランドの噴火で欧州の空から飛行機がいなくなってしまったらしい。ということで、移動に難儀しているひとが続出。気の毒なことだけど、どうしようもない。移動が必要な人は陸路と水路に頼るようになっている。あと数日は混乱が続くと当局筋は話している。


物流は困るだろうけど、人の移動、特に仕事での移動は「これを機会にネットを活用しようよ」みたいな動きがあるんだろうか。それとも欧州人はそんな必要はないくらいに洗練されたワーク・ライフ・バランスを実現しているのだろうか。


日本の場合、たとえば富士山が噴火しました、北西の季節風が吹いているので相模湾から房総半島方面は火山灰で飛行困難です、大阪・九州方面の人は諦めてください――とかなったとき、やはり新幹線を中心とした陸路に頼ることになるのだろうか。それとも、「もう出てこないでいいからさ、ネットでつないでよ」となるのだろうか。


火山の噴火とかの大規模な自然災害じゃなくても、台風並みの低気圧が近づいて大変な風雨です、警報出てます、小学校は早退にしちゃおかな――みたいな状況になったときを想像してみると、やっぱりみんなムリしてでも会社に出てくるんだろうなぁ、と思われてくる。


雨と風でぐちゃぐちゃボロボロになり、駅で遅延証明書をもらって会社に到着して、でもって途中の武勇談なんてのを披露しているオトーサン、とかいそうだけど( いるのか?)、そんなことするよりもスパッと出社なんて諦めて、自宅からサクッとネットでつないで仕事をする――なんてのが、自分としては理想なんだけど。


しかし、私の職場の場合、就業規則では取り敢えずは職場に出てきて席に座っていないといけない、となっている。まるで工場の組み立てラインで働くような状況が前提条件になっているんじゃないかと思われるような内容だ( 「いるんじゃないか」じゃなくて「いる」かも )。会社に出てくればとりあえず仕事できる、という前提条件自体、この頃は通用しなくなってきていると思うのだが。


職場を離れたら仕事のことは忘れて……なんて呑気な仕事じゃなくて、四六時中、日常の暮らしと仕事とが緩やかにつながっている状態が、全体的に増えているんじゃないだろうか。自分では仕事のことを忘れているつもりでも、何かの折に「あ、これ使えるじゃん」と思ったりしないんだろうか( 私の場合、風呂あがりの瞬間に多い )。


だとすると、いつでも仕事に接続可能な状態が望ましいような気がしてくる。とすると、電車で移動している時間、乗換えで駅を歩いている時間なんてのは、ほんとにムダ以外の何ものでもない。毎日の通勤経路や通勤時間帯を自由に変えられるというのなら少しは意味のある時間になるかもしれないが。


日本の場合、たとえば私の住んでいる東京などは毎年決まって台風がやってくるわけだから、そんな折を利用して「テレワーク実験」なんてのを推進すればいいんだ。台風の通過を活用して、在宅勤務、クラウド利用の仕事なんてのが、どれくらい効果のあるものなのか、それとも全然ダメダメなのか、その辺を試してみればいい。


【追記】(2010-4-19)こんな記事があった

「CNN.co.jp:ノルウェー首相、ニューヨークで足止め食らうもiPadで対応」

http://cnn.co.jp/fringe/AIC201004170007.html

2010.04.13

さくらインターネットで xoops を UTF-8 でインストールする

※【注意】追記あり

もともとは EUCで動く xoops (ズープス)なんだが、自分が使っている さくらインターネットの PHP環境は UTF-8にしているので、当然ながら文字化けする。ということで、インストールする xoopsを UTF-8にしてみた。

参考にしたのは次のページ

「XOOPSのutf-8化」( Webウェブデザインレッスン )
http://w-d-l.net/memo__xoops_utf8/

UTF-8にするのは次のディレクトリのファイル

language/japanese/
install/language/japanese/
modules/ディレクトリ内のサブディレクトリ全てのlanguage/japanese/

unzipして得られる xoops4u_20061107とかいうディレクトリ中にある html/ をカレントディレクトリとする。で、上記ページには nkfのスクリプトもあった。ありがたい。引用すると次のとおり。1行目は書き換えた。

| #!/usr/local/bin/bash
|
| if [ $# = 0 ]
| then
| echo "usage: utf8 filename"
| exit 1
| fi
|
| for file in "$@"
| do
| if [ -f $file ]
| then
| mv $file ${file}.bak
| nkf -wLU ${file}.bak > $file
| rm ${file}.bak
| else
| echo "$file: No such file"
| fi
| done

↑これを先の htmlディレクトリ中に保存し、sshでカレントディレクトリを同じくして次のコマンドを叩くと、一気に該当ディレクトリ内のファイルをUTF-8化できる。スクリプトを uka.sh というファイル名で保存した。0755にしてね。

find ./language/japanese/ -type f -exec ./uka.sh {} \;
find ./install/language/japanese/ -type f -exec ./uka.sh {} \;
find ./modules/*/language/japanese// -type f -exec ./uka.sh {} \;

コピペでもなんでもいいから、コマンドラインに放り込んでやれば、UTF-8化の uka.sh スクリプトが走ってくれるという次第。

あとは、「Webウェブデザインレッスン」さんの通りにいくつかのファイルで文字コード指定周りを書き替えてやればいい。で、おもむろに html/index.php すると UTF-8 の日本語表示でインストールができる。

以上メモ。

※【追記】
インストールを終えていろいろ管理画面を触っていたら、「ブロック管理」のデータが全部ぶっ飛んでいた。なので、上記方法はあくまでも参考に。DBにテーブル登録されるときに何かが足りないのだろう。(20100413Tu_1658)

2009.12.09

Google LabsのLiving Storiesでニュースが日用品となる、か

思いついたところをメモ

・Living Storiesというニュースプラットフォーム
・伝える器の粒がそろえられる
・つまりパッケージとして流通させやすくなる=記事のばら売り化を促進
・伝える内容で目立たせる戦略がクローズアップ
・つまり差異化が必要になる=報道機関のコアが問われる
・Google Newsは速報型=速報という安売り競争
・Living Storiesは解説型(アーカイブ型)
・規格がそろうと販路が広がる。パイ拡大の可能性?
・が同時に、特色(コア、エッジ)が立っていないと埋もれてしまう
・たぶん報道ブランドの展開も並行させる必要性がある
・いや、でかいパイを狙わないなら、そんな必要ないけど

・ネーミングがいまいち、か

【追記】
表現などを修正(12/9)

ACアダプターの規格をそろえるとノートPCがもっと売れる、かも

きのうは朝から夕方まで会議やミーティングばかりで、使っているノートPC“XPS M1210”(DELL製)につけたサードパーティの9セルバッテリがカラになった。カラになったところで業務終了。

最初からついている6セルバッテリでは3時間弱の稼働時間だったが、適切なバッテリ運用というものを知らなかったので、すっかりへたらせてしまった。なので、いまはロワジャパンで購入した大容量バッテリを使っている。パソコン本体から2センチほど出っ張っているが、まぁ、気にしない。おかげで5~6時間は使えるようになった。

ノートPCのバッテリは100%充電しちゃいけないとか、電源をつなぎっぱなしにしているのもよくない、なんて知らなかったよ。いまはその辺を気にして使っているので、しばらくは大丈夫だろうと思う。

で、ウィルコムの「どこでもWi-Fi」を手に入れたことだし、きょうは「会議の日」に設定していたので、ノートPCと「どこでもWi-Fi」をデイパックに入れて恵比寿から茅場町方面をあちこち動いて会議に出たりしていた。基本的にACアダプターは持ち歩かない。だって、重いんだもん。

特に、DELLのACアダプターはでかくて、きっと作った人間は持ち歩きなんて想定していない。アメリカ人にしてみれば「車で移動するからいいじゃん?」てことなのかもしれないけど( この辺はちょっと昔のAppleもそうだったな。アメリカンな設計思想が製品ににじみ出していた )。

だが、会議のハシゴなんてやっていると、やっぱり大容量バッテリでも持たないことがわかったわけで、やはりACアダプターを持ち歩くしかないのかなぁ、どうなんかなぁ、と考えていたとき思った。

全社共通規格のACアダプターにすればいいじゃん。

ケータイがUSBから給電できるような感覚で、同じ規格のACアダプター、せめてプラグ形状と極性と電圧なんてのをそろえてくれれば、取り敢えず急な充電はどこででもできる――というのが実現可能なんじゃないか? 昔と違って、あちこちでノートPCを使っているわけで、だから各社のPC独自の仕様でACアダプターを設計する必要もメリットもないんじゃないか、と。

「すんません。バッテリがなくなったんで…」「わたしの電源でよければ、どうぞ」

ウルトラモバイルPC(UMPC)なんてのも電源周りの規格については特許とか意匠を越えて各社で共通に作れるようにするだけで、ノートPCの「電源」とか「給電」という一大“プラットフォーム”を作り出せるんじゃないだろうか。とすれば、みんなもっと手軽にノートPCを持ち歩けるようになるんじゃないか。

そうすれば、ノートPCがもっと売れて、もっと安くなって……、とイイことずくめなんじゃないか、なんて思った。

でも、こんなことを書きながら気づいたのは、ノートPCとかケータイで使える小型の燃料電池で規格をそろえればいいんだよな、ということ。これまでの乾電池と同じ感覚で小型燃料電池が普及すれば、ACアダプターの規格をそろえずとも、電池を駅のキオスクで買うことができるだろうから“電源問題”は解決する、ね。

【参考追記:2011/02/03】
スマートフォン向け共通充電器の標準が公開 - ITmedia News
ようやく来たか、というか、ノートPCじゃなくてスマフォだった。もうノートPCなんて誰も使わないよ、という業界の本音というかあきらめなのかな。

2009.12.02

<メモ>CPANでAESのRijndaelをさくらインターネットにセットするカナメ

忘れないうちにメモ。
さくらインターネットの共用サーバで、cpanで Crypt::Rijndael モジュールを入れようとしたたら、

!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!
ERROR: Can't create '/usr/local/lib/perl5/5.8.9/man/man3'
Do not have write permissions on '/usr/local/lib/perl5/5.8.9/man/man3'
!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!!

なんてで出ちゃうので、なんだろうと調べてみたら、
cpanシェルの o conf または ~/.cpan/CPAN/MyConfig.pm で

makepl_arg [PREFIX=/home/username/perl LIB=/home/username/perl/lib \
INSTALLMAN1DIR=/home/username/perl/man/man1 \
INSTALLMAN3DIR=/home/username/perl/man/man3]

がポイントだったことが判明。
それからシェルの rcファイルで環境変数をセットするか、実行する Perlスクリプトの先頭で、

use lib '/home/username/perl/lib/perl5';
use lib '/home/username/perl/lib/perl5/site_perl';

とやっておく。

以上、業務メモ。やれやれ。

【追記:2010年1月8日】

・cygwin環境から sshしての cpanシェルの o conf だときちんと書き込まれず尻切れトンボになったので、MyConfig.pm を直接書き換えたほうが確実かもしれません。

・「PREFIX=/home/username/perl LIB=……」の「username」はご自分のユーザ名に変更してください。わかっていると思うけど( 自分で書いておきながら見事に間違った 彡 )。

・インストールされているモジュールのリストを得るには
find `perl -e 'print "@INC"'` -name '*.pm' -print
(【参考】 PerlのCPANインストール済モジュールの確認)

・あ~、ことしも商用コーディングの日々が始まる。そろそろ引退させてくんないかなぁ。

//追記おわり//

ウェブページ

フォト

hide module-header

redirect to tafworks.com

GglAnlytcs