視界を奪わず心を奪う「ラジオ」
ラジオのデジタル化の意義がいまひとつわからない。そんなに“高品位化”してどうするよ。仕様だけ先走ったスペック莫迦な日本の製造業的悪い面が出てるんじゃないかなぁ、と思った。
ラジオの特徴は、ユーザの視界を奪わないこと。だから、「ながら」に向いている。いまはどうだか知らないけど、かつての受験生の必需品は深夜ラジオだった。「ナッチャコパック」とかね。それに、ほら、タクシーはよくラジオつけてるじゃん? 文化放送とかニッポン放送とか。
ナッチャコパックが直接的に勉強の役に立っていたわけじゃないけど、自分は一人きりではない、世界とつながっているんだ、という感覚を自己醸成するには役立っていたのだと思う。( まあ、十分に眠るほうが役立つと思うけど )
それに、アナログ放送なら鉱石ラジオで受信して聴くことができる。シンプルな構造は省電力だし( 電池要らない )、単純構造で非常事態で威力を発揮する。小学生の頃の私も作ったことがあるくらい簡単だ。あり合わせの材料から鉱石ラジオを作る冒険物語の主人公がいた気がするけど、実際、マクガイバーなんか簡単に作っちゃいそうだよね。
そもそも、「つながっている感覚」を生み出すのに、視覚を使う必要はない。解像度の低い画像でも、コミュニケーションの場面では十分に役立っている。たとえば、トイカメラ風の画像処理をするアプリとか、敢えて低解像度化を愉しんでるでしょ?
むしろ、画像というのはコミュニケーションでは添え物的なのかもしれない。何と言っても、相手が何を云っているのか、云わんとしているのかということが最重要のはずだから。百聞は一見に如かずとは云うけれども、それは状況説明という事実についてのことであって、対する相手が何を考えているのかというのは、言葉に、つまりは音声に尽きるしか無いのだ( 但し、エスパーは除く )。
【参考】
GoogleグラスよりもAppleのiWatchじゃないか、という調査結果。
http://ascii.jp/elem/000/000/803/803176/
音声はテキストよりも肉薄的で、動画よりは他人的という程よい距離感を持っているように思う。見えないけれども聞こえる、という一種「カーテン越し」感覚というのかな。さらに考えを進めてみると、つながってる感覚には、おしゃべりは要らないことに気がつく。極端な話、何処かのカフェの店内の音を中継してくれてもいい。必要な時に、ニュース、天気予報、交通情報が聞こえてくればいい。
ということで、実際にそんなサービスがあったりする。
【参考】
本当にパソコンでの作業が捗った!環境音としてカフェの喧騒を流す「coffitivity」 http://www.danshihack.com/2013/03/22/junp/webservices_coffitivity.html
てことで、ラジオのデジタル化なんてことではなく、もっと本質的なことにお金つかいましょうよ。