報道のスピード競争は体力勝負の安売り競争だ
海の向こうではどんどん紙の新聞社がつぶれているとか聞こえてくるし、最近の調査によると記者の多くが紙からデジタルへの移行を望んでいるらしいとか。実は日本国内の一般紙の、特にネット部門も同じ感触を実感しているのだ。「編集が遅い!」って。
紙の編集部は新聞の発行時間に間に合えばいいや、という意識で100年以上やってきたので、理屈ではわかっていても、たぶん感覚の転換がうまくいかない。けれども、ネット部門はリアルタイムでニュースを卸しているから、取材・編集部門(ニュースセンター)が最新のニュースをどんどん出してくれないと他社のネットニュースに負ける、と焦ることが多くなる。そこで、社内アピールとして「○○事件のネットでの掲載時刻は、××新聞が何時何分、△△通信が何時何分……」のようなドキュメントを作って紙の編集部門や地方支局の記者に回覧するような工夫をする。
その甲斐あってか、最近ではニュースセンターの担当者がネットニュース向けに原稿を早めに出してくれるようになって一定の効果が見えてきた――のような話を聞いた。
まぁ、悪いことじゃないんだけど、ちょっと心配なのは、このままネットでの速報競争が激しくなってゆくのは、一種の安売り競争になっちまうんじゃないかと思われることだ。とにかく安売り競争では体力のあるところが勝つ。体力とは、資本力とか人的資源とか技術投資とかいろいろあるが、結局のところ他社との差別化戦略としては最上とはいえない気がするのだ。こと新聞社はこの点において分が悪かったりする。
社内見学してもらえばわかることなのだが、新聞社の中にはテレビがいくつもつけっぱなしになっていて、NHKをはじめとした複数のチャンネルをずっと流している。そして、テレビ画面に速報ニュースのテロップが流れたら、それを見ながら第一報の原稿を書く、なんてことをしている。もちろん自社での裏づけは取るけれども、速報とか第一報という点では自社だけでは絶対に勝てないことが多い。これはテレビ局やラジオ局だって同じだと思う。
マスコミどうしが連携して一種の速報システムを作り上げているようなものだが、どんなに彼らが頑張っても、速報のスピードを事件発生の瞬間にまで引き上げることはできない。しかし、インターネットはそれができてしまう。
不時着した飛行機の乗客が携帯端末でネットにリアルタイムで第一報を流すなんてのが典型例だ。マスコミどうしでスピード競争をしていたら、読者や視聴者が競争相手になっていたということ。安売り競争で商品の価格を下げることに血まなこになっていたら、低コストでお客さん自身が商品を作り出していた、といったところか。
「視聴者がどんなに現場からニュースを発信したとしても、信頼性がないじゃないか」というマスコミ側からの指摘があるだろうが、インターネットに接続している複数の視聴者が現場からの情報の信頼性を保証してしまうという現実がある。信頼性とは、つまるところ時間の集積だからだ。
ひとつの放送局や新聞社が数十年から100年以上かけて積み上げてきた時間が、その報道機関の信頼性を保証している。一貫性と言ってもいい。
一方、視聴者であるネットユーザひとり一人の個々の信頼性は、テレビや新聞社にくらべれば取るに足りないものだが、それがインターネットというプラットフォームによって束ねられたとき、個々の時間が一瞬にして積み上がって世界が無視できない信頼性を形成してしまう。そんな現象がいつでも必ず起きるとは断言できないにしても、少なくともそのような可能性は否定できない環境が実際に存在しているし、そのようなメカニズムが機能している実例がいくつもある。
マスコミの歴史という単一の時間軸による一貫性に対して、「その場面」という瞬間的だが同時多発的な一貫性が立ち上がる。どちらがどちらというわけではないが、とにかく現実としてそんなスピード競争が目の前にあって、それでもやっぱりニュースの速報競争なんてことをやり続けるのだとしたら、相当の消耗戦を覚悟しなければならないだろう。
そんな体力が果たして自社にあるのかどうか、まず経営者はその辺を見極めるのが重要だと思う。そして、そんな消耗戦を続けてゆけないと判断するなら、さっさと経営戦略を見直して戦線から離脱するべきだ。その点、専門性の高いメディアや地方新聞というのは、それぞれ独自のプラットフォームを自前で作り出して「戦線離脱」するのが容易に思われる。パイは小さいが収益性の高い青い海を見つけやすいだろう。ただ、規模の経済になれていると、こういう青い海がなかなか見えてこない。もしかしたら「見たくない」というのが本音かもしれないけど。