仕事のやりかた

2014.04.09

バイブレーターは断続がいい。

タニタの TDー370(手前)とパール金属の C-3238

と言ってもいやらしい話ではなくて、目覚ましとかに使うバイブレーター式のタイマーのお話。


タニタの TDー370やパール金属の C-3238を使ってみたけど、バイブレーターの振動パターンが平板で変化しない、言ってみれば“定常的で単調”なので、居眠りしていると気づかないで寝過ごすことがよくあった。


仕方ないので、iPhoneの「時計」の「タイマー」を使っている。こちらは振動が断続的なので、振動の有無がわかりやすく寝過ごしたことは今までに一度もない。


ということで、タニタとかパール金属にはその辺のリサーチとか何とか、頑張ってもらいたいな、と思った。小さいしデザインはいいのだから、ファームウェアを変更して振動パターンを変えてやればいいだけのような気もするんだけど、どうなんだろう。難しいのかな。最新のTD-370Nはどうなのか知らないけど。


スマホとか持ってるけど、ちょっとした居眠りとか備忘録的な使い方に、こういう小さな単機能ガジェットがすごく役立つ。あと半月もすると新年度スタートの疲れがたまってくるから、寝過ごし乗り過ごしで上司に叱られる前にひとつ買ってみてはどうだろうか。


2013.07.01

友達どうしで固まると仕事がはかどらない、という話

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(【追記】があります)

類は友を呼ぶとは言うけれども、友達どおしで集まってしまうと使いにくくていけない。いや、プロジェクトの運営の話ではなくて、Windowsのウィンドウの話です。

WindowsXPを先日まで使っていました。開いたウィンドウはアプリの種類の違いにかかわらず、開いた順番に、タスクバーの上にボタンが左から右に向かって増えていました。

この前、使用機材が新しくなって気づいたのですが、Windows7は同一アプリのウィンドウを一箇所に集めて表示しようとするんですね。これ、複数ファイルを開いてコーディングするとき、ひどく不便なんです。どうにかならんかな。

極私的事情で説明すると、たとえば、Aというウェブページをいじるとき、
・ブラウザ (b)
・FTP (f)
・エディタ (e)
という3つのウィンドウが一組になって、Aページを寄ってたかって叩くわけです。このとき同時に、Bや Cという別サーバのファイルを開いて同じことをやったりするわけです。時には APIの仕様書を開いていたりもします。WindowsXPだったときは、こういう場合、ブラウザのボタンが A、B、Cを区別する区切りとして機能してくれていたわけです。私の場合、大概は Firefoxの丸いアイコンが区切り目標になります。

たとえば、こんな感じです。途中に紛れ込んでいるB(d)は、Bの資料(document)のつもりです。

A(b) A(f) A(e) B(b) B(f) B(e) B(d) C(b) C(f) C(e)

ところが、Windows7になってみると、Aも Bも Cも、ブラウザはひと塊りになってしまって、FTPやエディタも別の塊りになってしまって、探すのが面倒で仕方が無い。いちいちウィンドウのボタンの上の文字を読んで探さないといけない。つまり、こうなります。

A(b) B(b) C(b) A(f) B(f) C(f) B(d) A(e) B(e) C(e)


A、B、Cごとにブラウザ、FTP、エディタがセットになっていると、おおよその位置で探せるのでマウスなんかの大雑把な動きで選ぶことが出来ました。が、今回の Win7になってのボタンの上の文字読んで……て、最近、老眼が入ってきているので結構つらいンですけど。……ああ、そうか。ロートルはコーディングなんかするな、と。

ちょっとしたことですが、コードのテストしているときなどには頻繁にウィンドウを切り替えますので、労力の総量、そこから受けるストレスの総量は莫迦にならない。

て、私だけなのかな。みなさん、疲れません? いや、その前に、40代以降はプログラミングなんかするな、と。

【参考】
タスク バーでのボタンの表示方法を変更する
http://windows.microsoft.com/ja-JP/windows7/Change-how-buttons-appear-on-the-taskbar

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【追記】
Taskbar Tweaker というツールを使うとグルーピングをオフに出来るので便利なことがわかりました。これは便利。極私的にすっごい便利!( 気になる人は検索してね )



2011.10.19

(仮説)管理職こそ子育てに向いている、はず。

仕事ではコーディングとかするんだけど、週明けの月火2日間くらいがひどくくたびれることに気づいた。え〜? なんだろう、前は、こんなことなかったのに、書きたくねぇ〜。

そこで思い当たったのが週末に2日間、4歳の子どもと一緒にいるということ。彼の相手をしていると頭が完全に会社の仕事から離れてしまう。とにかく子どもの相手をするのは時間と集中力の両方を大量投下しないといけない。だから仕事のことを考えるなんてゆとりが皆無になる。

実は、子育てというのは野方図に伸びようとする子どもの創造性を整える仕事で、それは「規範」とか「道徳」なんてものに従って管理する部分が大きいので、親の仕事としては管理職的なのではなかろうか。子どものクリエイティブ部分は邪魔をせずに放っておいても勝手に伸びていく。どちらかというと、既存社会に最適化する部分を親が助けるという機能が強いように思う。

対して、プログラムを作ったり新しいビジネスモデルを考えたりという仕事は、管理運営ではなくてデザイナーに近い。発想を常識からどんどん外してみるという創造性を要求される仕事。専門職とかクリエータとか技術屋とかデザイナーとかいう人たちは探究・構築しつつ既存のルールを越えたところに価値を作り出すのが仕事。

管理職とかマネージャとか部課長とかいう人たちは、既存のルールに従って部下を管理・育成しつつ組織を最適化していくのが仕事なので、まさに、これって子育てと同じ方向の仕事なんじゃないだろうか。

だから子どもが生まれて小さい頃に昇進して管理職としてスタートするのは、時期的に良いタイミングなのかもしれない。そして、子どもが大きくなって手が離れる頃に、今度は新しいスタートアップで事業やらビジネスモデルを立ち上げるというのがいいのかもしれない。

だから、コーディングなんて若いのに任せて、私は管理側に回った方がいいんだよ、なんて言い訳ばかり考えて、コーディングから逃げてます。

2011.04.14

夏休みは3ヶ月……て、ムリか。

ソニーが夏休みを2週間にして、その分は後日の祝日出勤で穴埋めする、だそうだ。そんなみみっちいことしないで、いっそのこと1ヶ月の休みとかにすればよさそうなものを。

いっそのことついでで、7、8、9月を休みにしてしまえばいい。3ヶ月間も休みがあれば、そのあいだに新しいビジネスが立ち上がるんじゃないかな。夏の3ヶ月間を九州とか沖縄とかに一時移転して、新規ビジネス立ち上げの長期合宿やればいいんだ。

全国的規模でやってみてもいいかもしれない。2011年は特別に。

たとえば、その3ヶ月間の生活費については税金を投入する。働いている人、求職している人を対象に、3ヶ月分の生活費を貸します。その代わりに新しいビジネスを立ち上げてください――みたいなの。けっこう面白いものが出てくるんじゃないかな。もちろん、お金は後ほど返していただきます。しっかり取り立てます。返せなかったら晒します。

金融機関がそういうことをやってもよさそうだ。一種の投資になるんだと思うけど、一人百万円貸しますから、ビジネス立ち上げてください、みたいなかんじで。

なんて云ってないで、私がやればいいのか。元手200万円として2人分をまかなえる。で、3ヶ月で新しいビジネスを立ち上げてください。

あ、そうか。私がその200万円で半年かけて新しいビジネスを立ち上げればいいのか。なるほど。要は覚悟できるかどうか、ってこと、ね。ここに企業体の存在意義がありそうだ。個々人は弱くても、その人たちの覚悟を後押しする、それが企業の存在意義、とか。

まぁ、企業自身が腰抜けだと、しかたないんだけど。


2011.04.13

「楽しい」のは予測と想定外のバランス、かもしれない。

あ~、なんかやらなきゃならないコトがあるんだけど、やりたくないなぁ。あ、そうだ、ロケットニュースでも見てみるか――て、やらなきゃならないコトとは無関係な“気晴らし”に逃げちゃうなんてことが多々あることは、経験からわかっている。試験前になると小説を読みたくなる、というやつ。

別段急ぐこともなくてヒマだから“ひまつぶし”にケータイのゲームをやってしまうとか、目的もなくテレビを見続けてしまう、ということもあるだろう。英会話の勉強するとか、資格試験の準備をするとか、ドラッカーを読み返すとか、次の休日にやるべき家事をリストするとか、実はもっともっと人生における優先順位の高い事柄があるにもかかわらず……。

でも、そんな“気晴らし”や“ひまつぶし”に「逃げ」るときでも、ちゃんと、どんな「逃げ」にするかを選んでいる。「逃げ」るんだったら何でもいいわけではない。どのゲームにするか、どのテレビ番組を見るか、ロケットニュースのどの記事を読むか、って選んでるでしょ?

で、思った。どんなに( 人生の大事なことに比べたら )低級な“ひまつぶし”であっても、「楽しい」ことを選んでるんじゃないか、って。だったら、その「楽しい」の素を取り出して、つまらない仕事、かったるい勉強、うざい家事なんかに振りかけてやれば、仕事や勉強や家事が楽しくなるんじゃないかな? て。

じゃぁ「楽しい」て何よ、と。

ウェブやテレビ番組を次々に渡り歩いて「逃げ」ているとき、選ぶコンテンツに期待していることが2つあるような気がするのだ。

・ある程度まで予測可能で、
・理解できる範囲での意外性がある

てこと。結末を自分なりに予測して「あ~、やっぱりそうじゃん」という安心感。ここに快感を感じる生理的な仕組みがあるんじゃないだろうか。だけど、結末が完全に予測どおりだと、かえってつまらなくなる。

仕事の段取りを記して仕様書とか手順書を作ると、もうその作業なんか自分ではやりたくない、もうお腹いっぱい、というウンザリした気持ちになることがあるけど、それはほぼ完璧に結末や結論や成果が予測できて、想定外のトラブルなんかが起こり得ないことがわかっているからかもしれない。

で、トラブルというほどではないけど、成果に想定外の要素が付け加わるとき、でもそれは自分としては十分に許容できる想定外であるとき、面白みが現れたのを感じることが出来る。いわゆるスパイスってやつ。

ここがなかなか難しくて、予測できないとか、予測できない結末とか、意外性が皆無とか、理解できない意外性だとかは、自分を不安にしたり不快にしたりする。按配が難しい。それに、人によって予測や理解の範囲が違うから、人それぞれ「楽しい」ことが異なってくる。

仕事を予測可能にするのは結構簡単だったりする。大きな仕事を小さな仕事に分解していけばいい。一つ一つの工程を小さくすることで不確定要素を減らしていける。だけど、この過程は「想定外」も減らしてしまい、仕事が味気ないものになってしまう危険性をはらんでいる。

かといって「想定外」が大きすぎると“意外”じゃなくて“やばい”になってしまって、面白がっているどころではなくなる。

どうやって「安全な意外性」を織り込んでやるか、その辺が、仕事を楽しくするキモになるんだろうなぁ。一番簡単な方法は、目標が同じ“同僚”と一緒に仕事をすること。人がもともと持っている多様性とか揺らぎなんてのが、許容範囲内の「意外性」を作り出してくれるんじゃないか、と。

もうひとつ思いつくのは、仕事を入念に仕上げること。許される時間と費用の範囲内で、どこまで丹念に仕上げられるかに挑戦する、てことかな。自分の予想以上の仕上がりというのは嬉しいもんだ。

ラジカルだけどシンプルな方法としては、仕事の順番をランダムに変えてみる、なんてのもあるかもしれない。順番を変えるだけでも、これまでの常識とか習慣から離れることで意外性を演出できる。

これ、GTD系のツールに応用できないかな。


【参考】音楽の陶酔と「曖昧な未完結」 | WIRED VISION:
http://wiredvision.jp/news/201101/2011012521.html


2011.04.04

水戸岡鋭治氏「自分の好みを超えて、正しく美しく楽しいことを作れる人」

どうして水戸岡さんのプロダクツを見ると、嬉しくて涙が出そうになるんだろう。自分の息子が、きっと喜んで駆け寄るだろうな、という列車。

久しぶりに新聞のテレビ欄を見たら“九州の列車”とあって、すぐに、あ、水戸岡さんだ、と分かった。たまたま見に行ったINAXギャラリーで好きになってしまって、デザイン本なんぞ何冊か買って、そしたら息子も鉄道好きになってしまったんだけど、その“動いている水戸岡さん”が見られるなぁ、ということで、本当に久しぶりにNHKの『プロフェッショナル 仕事の流儀』を観てしまった。

そこで気に入ったあたりをメモ。

・「あったらいいな」を形にする。
・センスでも才能でもない。手間を惜しまない。
・本当にこれで喜んでくれるのか?
・公共のためのデザイン。デザイナーは公僕である。
・誰もやらないギリギリの仕事が来る、それが個人。
・公共空間とは対話のための空間。
・公共空間が贅沢でないと子どもは育たない。
・「そういうのは私も見たことがない」(椅子メーカーの担当者の言葉)
・進んでいるものを止められるのは僕しかいない。
・いつかは、きっと。いいものを。
・もうちょっと頑張って、完成させたい。

茂木さんが、九州の人はこんな贅沢な列車に乗っているの? みたいなことを云っているのを見て、そうだよ、水戸岡さんを選んだJR九州の人は偉いし、そんなところが九州なんだよ、と一人で勝手に自慢していた( 莫迦みたいだけど )。私の一族はそんな九州人なんだ( ほんと莫迦みたい )。

人とは記憶と論理から成り立っているのだとしたら( 実際、私はそうだと思っている )、その記憶を豊かにしなければ、豊かな人とはなり得ない——というのは正しいと思う。

人の記憶は、人や物や環境というオブジェクトが作り出す“物語”と、そこで交換される価値から生み出される。だから、その“物語”を豊かにすることで、人と人とが交換する価値も豊かになるのだと思う。

そんな仕事をしたいなぁ。

(あ〜、息子つれて九州行きたい)


プロフェッショナル 仕事の流儀
第160回 水戸岡鋭治氏
http://www.nhk.or.jp/professional/2011/0404/index.html


ちょっと古いけど(2008年) kanaean さんによる
「鳥の詩JR九州プロモーション完全版」
水戸岡印の列車が多数登場。内装シーンがもっと欲しいけど、それは実地で乗車して確認してね。


2011.03.28

創造的な断絶として震災と原発事故をとらえてみる。

イノベーションとは、一種の断絶だと思う。自分の側や、自分を取り巻く世界が、不連続に変化してしまう。こんなエントリを書くと「被災された方々に不謹慎だ」と叱られるかもしれない。でも今こそ考えねばならない、いま考えなかったらいつ考えるのか、と思うのだ。

この震災と、それによって引き起こされた事故、それが暴露した様々な矛盾は、自分と、自分が生きている世界の両方に起きている断絶の瞬間であり、それをイノベーションの契機とすべきなのではないか、ということ。喪失や苦悩で哀しんでいる人に無理やり「やれ」というのではない。幸いにも助かってしまった私たちのような人間が、向かい風にむかって顔を上げて進むべきなんじゃないか、ということ。

そんなカッコいいこと云わなくても、変わらねばならない瞬間はやってくる。明らかにわかっていることは、この夏は「これまで」のような冷房に期待すべきではない、ということ。( いきなり話が卑近になって申し訳ない )

既に節電のために通勤電車の混雑が「普通」でなくなっている。そして、圧倒的な電力不足の予測が具体的な数字で示されている。これほど明らかに確実な“予言”されている変化、断絶を前にして何もしない、「これまで」とか「普通」の生活をただ待っているだけ、というのは能が無い。

たとえば在宅勤務、夜間操業、サテライトオフィス、別の土地での生活――などなど。もしかしたら、これまで望んでいたけど実現できなかったことができるかもしれない、と捉えたい。

今回の震災や事故に意味を見出したり、意味を与えたりできるのは、人間の特権なのだから。自然の猛威や、既得権益にしがみつく人たちに「やらずぶったくり」されてるだけじゃないことを見せてやろうじゃんか。


首都圏の夏季電力不足に備える節電の本丸は大規模事業所 : アゴラ - ライブドアブログ

震災前、震災後 - 業界人間ベム
「政府や企業や個人、いろんなレベルで「踏ん切り」がつくのです。いろいろ従来のしがらみで決断できずにいたことがらが、先送りできなくなるのです」

オープンホームプロジェクト - Open Home Project
「このたび欧州各地の方々が部屋を解放し、日本から一時的ホームステイを希望する方々を受け入れる運動を起こすことにしました」

東日本大震災で石垣への自主避難者増える - 石垣経済新聞


2011.03.25

こだわりを脱ぎ捨てる2011年。

この夏は電力不足で冷房が期待できないから、もう、アロハ通勤をオフィシャルにしちゃって( 条例でも何でもいいよ )、移動できるやつはパソコン抱えて沖縄とか北海道とかに逃げちゃえばいいんだよ。北九州なんか経済活性化の好機じゃんか。九州に逃げちゃうかな、息子連れて。家人も出勤の時だけ東京にやってきて、あとは九州でのんびりと過ごすというのはどうだろうか。

そういう利用のために、「夏休み節電往復回数券」みたいな航空券が出ると便利だろうな。

移動できない病人とか年寄りのために東京・首都圏の電力は残してやって、移動できる人間は別の土地に移動する。で、夏が終ってほとぼりが冷めた頃に東京に戻ってくる。もしかしたらその頃までには、「オレの仕事って、何も東京でやることないぢゃん」とか気づいているかもしれない。

東京にこだわることはない、という意識からスタートして、あれ? もしかしてオレの仕事って、世界でも通用する? なんてのが( 勘違いでもイイから )出てきそうな気がする。ならば外貨を稼ぐこと出来るじゃん、とか。勘違い君がたくさん出現したとしても、本当に世界で通用する人も登場しやすいからイイとしよう。

2011年は、日本人が「こだわり」を洗濯する年になりそうだ。


2011.03.08

iPadの 10ヶ月私見(試験)と、次はどうしようか、ってこと

昨年 2010年の 5月28日(金)に日本国内で iPad が発売されて、そろそろ10ヶ月。当初は iPad を買っちまうか、それともジックリと待って Android のタブレットを待つか、と相当悩んでいた。

アプリを作りやすい点では Appleにコントロールされない Android なんだろうけど、そもそも「タブレット」というスタイルが皆目わからない。いったい、日常生活にどのような影響を与えるのかについては、早く自分で体験して知りたい――と思っていた。で、結局のところ発売から 2週間ほどで iPad を買っちまったわけだけど、最初のひと月くらいはあまり使わなかったように記憶している。

どのように使ったらいいのか、自分自身でわからなかったのだ。

20年前に SII の NOTE2 なんてのを鞄に入れて持ち歩いてたけど、結局あれはワープロだったわけだし、全然参考にならない。

昨年の iPad 発売当時、会社の偉い人はさっさと iPad を手に入れていじり回し現場にコンテンツ開発をやらせてたけど、その偉い人が独り占めしているので、現場は実機がないまま開発していた――という事実は、まぁ、どうでもいい。会社が iPad などの新しいデバイスの購入補助をしてくれない、というのもどうでもいい。ネットを主戦場とする業務内容なのに、その辺の意識が低い、というのもどうでもいい。( 愚痴と皮肉じゃ )

一番の関心事は、タブレットというスタイルだった。これが日常生活に何をもたらすのか。特に、読書体験がどのように快適になるのか/ならないのか。そう。当時は「読書」すなわち「電子書籍」という見方しかできなかった。

が、この10ヶ月でいろいろアプリを突っ込んだり、Kindle 試したり、MacBookAir とか iPhone とか情報環境に投資をして、アレコレつないでみてわかってきたことがある。

ネットで探したり読んだり、それを記録するなら iPad で十分だ――ということ。もう電子書籍なんかはどうでもよくて、そんなもんは意識レベルでは既にデフォルトにまで低くなっている。デバイスに電子書籍のリーダーがあって当然、というレベル。それよりも、ネットの情報をフィードに加工して GoogleReader に読み込み、Feeddler で流しながら Twitter に流したり、はてブ して自動で Twitter に流したり、スターをつけてあとでジックリ読んだりする。それもソファでくつろぎながら……なんて使い方には iPad が一番合っている。

いや、それだけではない。

FTP On The Go という FTPクライアントを使ってやると、ちょっとしたウェブのメンテなんてのができてしまうじゃないか、コラぁ。Googleの各種ツール、有料・無料のレンタルサーバ、ネットのストレージサービスなんていう、いわゆる SaaS とか“クラウド”(雲)を使ってやれば、自分のマシンにデータを保存する必要もない。

ネットの接続環境さえ確保しておけばいい。そのキャリア各社も料金を下げてきていてしかも高速化してきている。

パソコンだけではできなかったスタイル、思い描きながらも実現性は低いよな~と思っていたスタイルが、iPad を自分の情報環境のコアに置いてやることで一気に可能になってしまった。

正直言っちゃおう。

私の会社での仕事なんて、iPad と iPhone があれば、おおかたできちゃうよ( 本気でやろうと思えば、ね )。

そりゃ、もちろん、デザイニングだとかDTMだとかコーデング、まとまった分量のライティングなんかには従来の「パソコン」というスタイルが必須なのは変わらない。だけど、そこにぶち込む素材集めが物凄く身軽になった。だから、自分としては仕事のかなり大きな部分が場所に縛られなくなった。そのようなスタイルを可能にしてくれたのは、ザックリ云っちゃえば iPad と Google のおかげなんだ。

ということで、およそ10ヶ月前の疑問――「いったい、日常生活にどのような影響を与えるのか」については、自分なりの答えを見つけられたと思っている。

だから、次にやることは、こんなスタイルで働く人たちを増やすにはどうするか、増えたときに何をするか、ということなんだと思っている。

2011.03.05

在宅ワークして、わかったこと

この2週間ほど、断続的に在宅ワークをしてみて体験できたこと。

【結論】
私的には最適な働き方じゃないか? できればずっと続けたい。

【前提】
私の仕事の内容はネットで何か面白いものが無いかな、面白いことができるかな、というのを探したり調べたり考えたりプログラムのプロトタイプを作ったりすること――なので、ネットとパソコンがあればできてしまう仕事だというのがポイントかもしれない。

これが工場のラインで働くとか、営業で歩き回らねばならないとか、交渉担当で会議が連続するとかの、他人と密接に連携しなければならない仕事だと、“現場”に行かねばならないから在宅ワークは不可能だろうし、そういった仕事が得意だとか好きだという人には、ひとりきりで過ごす在宅ワークは苦痛でしかないのだろう。

寂しがり屋の人には向いていない。( 自分が寂しがり屋かどうかはこちらでチェック )

【事情】
昨年、ガンの手術を受けて現在も再発予防のための抗癌剤療法を続けているので、薬の副作用がいろいろ出てくきて結構わずらわしい。痛みなどの副作用で体調が外出向きでないので、だったらムリして通勤しないで在宅ワークはどうだろうか、ということ。前述の通り、私の仕事内容が在宅ワーク向きだったことが幸いした。

まぁ、会議だとか面談だとか取材だとか応接だとか苦手だし、他人が決めた単純な仕事も嫌いだし、ということで私の人生自体が在宅ワーク向きの現在の仕事に流れ着いていたから当然といえば当然なわけだけど。

それと会社の理解があったということも重要な要素なんだろう。これが無かったら単なる「欠勤」でしかない。家族構成によっては家族の理解も必要かな。

【メリットとデメリット】
まず通勤費がいらない。まぁ、通勤定期を買ってしまっているから、その分がムダになっているわけだけど、最初から在宅ワークを前提とするなら通勤費がいらなくなるし、会社も支給しなくて良くなるから双方にとっていいのではないかな。

お金がかからないということなら、通勤のための服が要らなくなる。もともとジーパンにTシャツだったので、この辺のメリットを私自身は実感していない。数年前はスーツを着ていたけど、社外の人に会う仕事でもないので( そういうのは上役が全部やってくれる )ばかばかしくなってやめた。IT系の人達と会うときもTシャツの上にジャケットを羽織ればいいくらい。業界的に恵まれている。

次に、食費が安くなる。外で昼飯を食べるのにくらべれば、半分から3分の一だ。週末にまとめ買いした冷凍食品を電子レンジで温めるとか、レトルト食品やスーパーの惣菜に自分でちょっと手を加えるとかの手間は必要だけど、それだって仕事の合間の気分転換になる。

自宅で過ごすので、自分にとってのお気に入りの快適な環境で働ける。これがもっとも重要な在宅ワークのメリットかもしれない。ちょっと疲れたら数歩あるいて自分だけのソファでくつろげるし、飲み物はほとんど無料に近く飲み放題。ネットラジオで音楽を流し、温度・湿度といった空調を調整できるから、年間を通して摂氏30度の会社で働く、なんて莫迦げた状況とは無縁だ。

そしてなんといっても騒音がない。

会社では常に人が動き回り、電話が鳴り、椅子の軋み音、コピー機やプリンタの動作音に加えて、トナーカートリッジをゆすったり給紙トレイの開閉音などがしていて集中できない。一番の邪魔者は、直接話しかけてきたり電話をかけてくる輩だ。プログラムを書いていてバグがコードに混入する最大原因になる。

「話かけてもいいですか?」、って、もう話しかけてんじゃんかよスカタン!、と心の中で罵りながら笑顔を作るというのは、どうしようもないストレスだ。( そのせいでガンになったのかな?)

ただ、在宅ワークは集中しやすいだけあって、ついつい集中しすぎて仕事をしすぎるという危険があることもわかった。会社に通勤するときのヘドロのようなどろどろの気持ち悪い徒労感ではないけれども、夕方になると脳がくたびれているという疲労感が会社より強い。

「やっぱり、打合せとかは対面じゃないとだめなんじゃない?」と思われるかもしれない。たしかにその通り。ちょっとしたニュアンスが必要な微妙な話とか、社内政治に関することとか、パソコンのモニタ越しのひと言ふた言の“職場の潤滑油”的軽い雑談だとかは、対面でないと成立しない。

が、そんなデメリットを補っても在宅ワークにはメリットがある。( ていうか、それってデメリットか? やめちまえばいいだけのハナシじゃないかな。仕事の本質じゃないもんな )

同僚との物理的な距離があるので、直接話しかけることがなくなる。いまのところコミュニケーションのほとんどは電子メールを使っているが、これが“再考”の余地を与えてくれるのだ。脊髄反射ではなく、状況とか文面をじっくりと考えてから返事をするだけのゆとりができる。

それから、やり取りのすべてがメールのメッセージとして記録される。あとから検索することで、それを探し出せるというのは大きなメリットになる。ちょっとしたシステムの変更だとか、ソフトの操作方法のティップスだとか、そんなものも記録残ると、あとから仕事のデータベースとして使えるのだ。云った云わないがなくなる。

ま、検索なんてことしないレトロスペクティヴな人にはピンと来ないだろうけど。

それに、Skypeのテレビ電話機能だとか、GoogleやYahooのチャットやメッセンジャー、社内つぶやきができる Yammerとか Smart4Bのような Twitterみたいなツールを使ったら、対面に近いコミュニケーションができるんじゃないかな。この辺は今後の研究課題。

◇ ◇

それと、前提条件として大事なことがあった。クラウドコンピューティング( Cloud Computing )が当たり前の時代になってきた、ということ。もしかしたらこれが一番大事かもしれない。

私の仕事環境は、ほとんどを Googleの各種サービスにデータを預けてある。メールは Gmailだし、書類やスプレッドシートやプレゼン資料は GoogleDocs。そして会社では GoogleAppsの有料版を契約してある。スケジュールの設定や共有が Googleカレンダーでできてしまう。

「きょうは在宅でリモートワークです」と、当日の朝にメールで上司に知らせ、ついでに GoogleAppsのカレンダーにその旨書き込んでおけば、上司以外の人にイチイチ連絡する必要もない。

Facebookがソーシャルネットワークを促進するともてはやされているが、Googleは在宅ワークを後押ししてくれるんだろうと思う。だから余談になるけど Facebook vs Googleという構図で考えている人は、たぶんピンボケで世界を見ているんだろうなぁ。両社たがいに全然性格が違うんだから。Facebookで在宅ワークはできないよ。

他にも Evernoteとか Dropboxとかある。サーバの知識がある人なら、レンタルサーバを月500円くらいで借りてそこを自分専用のストレージに使えるだろうし、だいたい最近は MySQLとか Wordpressのインストールキットが付いているので、倉庫兼店舗としてウェブサイトを開くこともできる。

どうしても不安だという人のために、週に1~2回くらいはフレックスタイムで出社するとか方法もあるだろうし、何も会社まで行かなくても上司の外出予定とタイミングを合わせて、どこかのカフェでミニミーティングなんて選択肢だって可能だろう。

( そうか。在宅ワークが増えると、街中に関連ビジネスを展開できるね。ミーティングスペース付きのカフェとか増えそうだ。もちろんWi-Fiと電源とホワイトボードとプロジェクタ貸し出し可能で )

◇ ◇

【今後の課題】
小手先の課題としては、SkypeやらDropboxといったツールを使って何をどこまでできるかを検証すること。できれば会社の人たちにもすすめて使ってもらうこと。

長期的な課題としては、在宅ワークが日本で促進されたときに仕事の世界がどのように変容しているのかを考えること。できればそれに対応したビジネスを展開できればなぁ、と。ただしここにはリスクもあって、そんな世の中になったとき、果たして当社の存在価値が残っているんだろうか、という懸念がある。たぶん「会社」という形態自体が時代遅れになって絶滅決定種になっているんだろうなぁ、と。

◇ ◇

ところで、どうして私の席はいつでもコピー機とかプリンタのそばなんだろうか。「やった! 今回の席替えは静かなところだ」と喜んでも、すかさず新設のプリンタが背後に置かれたりして、しかもミミッちいことに裏紙を使うからジャムってばかりで、そのたびに給紙トレイをガチャガチャ、バンバンやってくれるし……。私自身、プリンタは年に2~3回しか使わないんだけどなぁ。もちろん、プリンタのメンテなんてしません。

きっと、在宅ワークは紙の節約にもつながります。

◇ ◇

日本で Googleのようなものが生まれないのは、みんな会社のような組織で働くのが好きだから、かな? 


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